10月2日(日)
10月第一の主日は、世界聖餐日です。今日の礼拝は、久しぶりにT牧師の司式で聖餐式を行うことができました。聖餐のある主日は配餐当番と共に受付当番も奉仕に加わります。そして、聖餐の備えのためにアルコール入りのティッシュを配って下さいます。今日は配餐のSさんが聖餐の準備をされ、Uさんがお手伝いされていました。そして受付当番のTさんも早くから教会に来て準備してくださいました。感謝です。
今日は、礼拝後の長老会で教会の設備点検をしました。5月に天に召されたNさんは、いつも礼拝が終わると教会のいろいろなところの不具合を点検しておられました。長老は、教会に責任があるとそのお姿から学ばせていただきました。点検の結果、秋の大掃除の時に、みんなで草刈りや看板修理、クリスマスの準備などをすることにしました。
そんな長老会が終わった夕方に、TさんとKさんが「教会のブロック塀の汚れ落としに明日行きます。」と連絡をくださいました。いろいろな形でみんなが教会を大切に思っていることが身に染みた一日となりました。
来週の「だんじり祭り」の準備で、今日は朝から夕方まで町中にお囃子の音が響いていました。熊取の文化を味わう一週間になりそうです。朝夕の気温差が大きくなってきました。みなさまのご健康が守られますように。またご家庭のお一人一人に主の祝福がありますようお祈りいたします。いつもホームページへの訪問ありがとうございます。
9月25日・礼拝説教要約
「主の怒りの日」エゼキエル書7章1-14節
濱田辰雄牧師
神は今激しく怒っておられる。それはユダヤの民が偶像礼拝と流血事件を繰り返していたからである。エゼキエル書は神の怒りを、たとえば6~8節ではこのように語る、「主なる神はこう言われる。災いに続く災いが来る。終わりが来る。終わりが来る。……今やわたしはお前に向かって憤りを注ぎ、……お前の行いに従って裁き、お前に対してわが怒りを注ぎ尽くす」。
この神の怒りは、今ユダヤの民が経験しているバビロン捕囚の原因をも示している。ユダヤ人は神によって出エジプトを導かれ、「宝の民、祭司の民、聖なる民」と位置付けられながら、その神の律法から離れてバビロン捕囚の苦難を経験することになったのである。神はその怒りを通して、民を悔い改めに導き、救いへと導かれる。この怒りは神の痛みであり、愛でもある。