6月11日(日)
蒸し暑い梅雨空の主日でした。梅雨真っ最中の6月の第二日曜日は「こどもの日・花の日」の礼拝を守っています。そのために、前日から教会の方々のご奉仕によって礼拝堂には紫陽花やその他の
美しい花々が飾られていました。「こども祝福式」は原則として赤ちゃんから中学3年生までのお子さんたちの健やかな成長を願い祝福しています。
紫陽花は、Tさんが丹精を込めて育てられたものです。水揚げの難しい紫陽花の水切り作業をしてくださっていたので、どの花も生き生きとしていました。また、Kさんはミニブーケ用に愛らしい花々を買うために和歌山まで行ってくださいました。
そして、前日にUさんとMさんが、準備された花々を礼拝堂に飾ってくださり、ブーケの下準備をして下さいました。こんなに心を込めて準備してくださったお花は、祝福式や教会にお出でになれなかった方々のところにも届けられました。
祝福式にはSさんのお孫さんのUさんがお母さまと今年も来てくれました。かなり背も伸びて小学校6年生になられたそうです。
礼拝後には、御欠席されたお子さん方やご高齢の方々。最近体調を崩されておられる方のところにお花を牧師が届けしました。
リハビリのために施設に入っておられるNさんには、施設にお花をお届けしました。夕方うれしいことに、Nさんからいつもの元気なお声で「お花とてもうれしかったです。施設に入っているので、礼拝に行くことができませんが、皆さんによろしくお伝えください。」と電話をいただきました。
また年明けから体調を崩されておられるFさんのところにもお花を持ってお訪ねしました。まだ本調子ではないにもかかわらず、お宅から出てきてくださり、お話したりお祈りしたりすることが出来ました。お疲れが出ませんように。
心を込めて祈りながら準備された沢山のお花に神さまの御手が働いて、その方々を慰め、喜ばせてくれました。本当に感謝の一日でした。
先週もご紹介した讃美歌をもう一度ご紹介させていただきます。
6月 4日・礼拝説教要約
説教「神の御心に生きる」 濱田美惠子牧師
ペトロの手紙一4章7-11節
異邦人の地でキリスト者となった者たちが、その信仰による残りの生涯を全うするための心構えについて、ペトロは人間の欲望すなわち罪とかかわりを絶って生きることだと教える。主イエスもそのために十字架の死という肉の苦しみをお受けになった。それは私たちも「肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるため」である。
それで異教の地にあるキリスト者たちは異邦人が好むような不道徳な行為、そして偶像礼拝を捨てた。それはまさしく神の御心にかなう生き方であり、十字架の主を証しする生き方であった。