毎日連載する小説「青のかなた」 第103回
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「光。僕のひ孫たちも絵を描くよ。絵はとっても素晴らしい。同じリンゴを描いていても、みんな違う絵になる。そこには順番がない。誰が一番上手い、下手、そういうものがない」
光も同じことを思う。絵にはランキングがないのだ。トミオの言う通り、一人として同じものを描く人はいないから。
「きっと、人生も同じ。人が十人いたら、十通りの生き方があるよ。百人いたら百通り。同じ人、同じ人生なんてない。小さな枠を作って、みんなを同じところに入れようとすると苦しくなってしまう。スーと朝之にも、申し訳ないと思っているよ。彼らが、自分たちのことを気軽に話せるような社会を、僕たちは作ってあげられなかった」
思いがけない言葉にはっとする。二人の本当の関係は、風花とレイ、それに光の三人しか知らないはずだった。トミオは自分で気づいたのだろうか。光の疑問が伝わったのか、トミオは「見ていればわかるよ」と微笑んだ。
「彼らが一緒にうちに来たときに伝わってきた。でも大丈夫。ロシタや他のみんなは気づいていない。コロールでも噂にはなっていないよ」
トミオはそう話しながら、「それがいいことかどうかはわからないけど」とも言った。
「本当は、彼らが自分たちのことを隠さずに済むのが一番いい。彼ららしい形で社会にいられるのが一番いいのに」
そう申し訳なさそうに話すトミオを見て、やさしい人だなと思った。思南と朝之の気持ちを「理解できない」とたった一言で済ませることもできるはずなのに、決してそうしない。
なぜか、ものすごく「私もそうしたい」と思った。こういう人になりたい。風花の言う通り、人にはそれぞれ抱えているものがある。その気持ちを聞いてあげられる人になりたい。
思南は「そうなりたいと思ったときが最初の一歩」と言っていた。今はできなくても、思南や風花、レイのそばにいれば光も身を持って学べるかもしれない。
祖母との約束の時間が近づいてきたので、光はリュックからノートパソコンを取り出してトミオの前に置いた。お互いの顔が画面に映ると、祖母もトミオも、「わあー!」と子どもみたいな声を上げていた。祖母はしばらくパラオには行けていないから、顔を見て話すのはずいぶん久しぶりのようだ。
祖母と話しているあいだにトミオのお茶がなくなってきたので、光はキッチンに立った。水を入れたやかんを火にかけたとき、キッチンの窓から、一台の車が家の敷地に入ってくるのが見えた。シルバーブルーのデミオ。レイの車だ。運転席を降りた彼が、こちらに向かってくる。
光は窓から声をかけようと思って、やめた。レイの表情がいつもと違うように見えたからだった。