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毎日連載する小説「青のかなた」 第29回

(29)

「なるほど」
「ごくたまにですが、メスのシシャモはスタッフが持って帰ります。そういうとき、僕はスーにあげています。おつまみで出すと風花が喜ぶそうなので。アパートの食卓にシシャモが出てきたら、そういうことだと思ってください」
「わかりました」
「日本の水族館でもそうですが、生魚を大量に、かつ安定して仕入れるのはとても難しいので、イルカたちに与える魚はすべて冷凍品です。その日イルカたちが食べる分だけを、毎朝こうして解凍して、選別します。僕は身が崩れたものや傷んだものをよけていくので、光さんは量を量ってください」

 レイは棚からバケツをひとつ取って光に渡した。蓋つきのバケツには「Elilai」とマジックで書かれている。

「まず、エリライが今日食べる分の魚を量って、ここに入れてください。どのイルカがどのくらいの量の魚を与えるのかはあそこに書いてあります」

 レイは壁にかけられたホワイトボードを指さした。そこにはイルカたちの名前と、その横に数字が書かれている。

「メスよりオスの方が量を多めに設定することが多いですね。妊娠中の個体は多めにしたりしますが」

 光はバケツを秤の上に置いて、魚を詰めていった。秤の針がホワイトボードに書かれているグラムになるまで、魚を足したり減らしたりする。エリライの分が終わったあとは、また別のイルカの分を量った。最後に、子どもが水遊びで使うような、小さな黄色のバケツが残った。

「レイさん、この小さいバケツは?」
「それにはイルカの赤ちゃんが食べる魚を入れます。彼はまだ母乳を飲んでいるので、魚は少ししか食べません」
「なるほど」

 ここに入る魚が、イルカの赤ちゃんのごはんになるのか。そう思うとがぜんやる気が出た。
 量を量ったあとは、バケツの中の魚にサプリメントを詰めていく作業をするらしい。

「一度冷凍した魚は、解凍したときにビタミンなどが流れ出てしまいます。イルカは魚から栄養を得ているので、そのままでは健康を損なってしまう。だからサプリメントを与えて栄養を補う必要があるんですが、錠剤のまま与えるとイルカたちが吐き出してしまったりするので、魚の中に入れて与えます。こんなふうに」

 レイはバケツの中から一匹のサバを手に取ると、エラに人差し指を入れ、そこからずるりと内臓を取り出した。空洞になった魚の身にサプリメントの黄色い錠剤を入れると、また内臓をもとに戻す。流れるような、なめらかな手つきだった。内臓は少しも潰れていないし、レイの指に血もほとんどついていない。


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