毎日連載する小説「青のかなた」 第132回
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「日本人は昔パラオにひどいことをしたし、いいこともした。どちらを見るかは、自分で決められる。さっきの、光のお母さんの話と同じ。光と朝之は日本人だけど、私はあなたたちを歓迎する。それにパラオ人の中にも、日本の血が混ざっている人がいる。『日本人』とか『アメリカ人』というのはただの記号。本当は何の力も持っていない」
ただの記号――。カトウの話を聞いていて、ふと思い出した。父の結婚に反対していた親戚とは光も法事などで会うことがあった。彼らはいつも、両親の代わりに光を育てることになった祖父母を哀れんでいるようだった。彼らにとって、光は祖父母のかわいい孫娘ではなく、「間違った結婚のすえに生まれた子ども」だったのだ。
間違った結婚と離婚のすえに、仕方なく祖父母に押しつけられた子ども――。そういう目で見られているのがわかるから、親戚の集まるような行事は大嫌いだった。今思えば、光が美大受験にこだわっていたのはそういう人たちを見返したかったからかもしれない。美大生というわかりやすいラベルが欲しかったのだ。どんな学校に入ったとしても、光の人間性は変わらないというのに。
今の光は、もしかしたらカトウの話したような価値観の中で生きていきたいのかもしれなかった。育った土地、卒業した学校、職業。それらはただの情報であって、「記号」に過ぎない。その人の人間性を表す言葉ではない。もしかしたら、性別や年齢さえもただの記号に過ぎないのかもしれない。
生まれた場所を誇ることはあっても、生まれた場所によって人を差別したくはない。
「ありがとう、カトウさん」
光が言うと、カトウはふしぎそうな顔をした。
「ありがとうを言われることは何もしていない」
「ううん。ありがとう」
今日、カトウから聞いたことを、大切に覚えていようと思った。光の気持ちが伝わったのかはわからないけれど、カトウはまたニッと笑ってくれた。
帰りは朝之が車で送ってくれた。最初はカトウの家からだ。コロール島のはずれにあるカトウの自宅は、レイの住んでいる小屋を少し大きくしたようなトタン屋根の家だった。パラオの人は自分の手で家を建てることが多く、カトウも自分で作ったそうだ。
朝之の車が家の敷地を離れるまで、カトウは家に入らずに手を振ってくれた。それが嬉しくて、光も助手席の窓を開けて手を振り返す。
少し走ると、車はすぐにコロールのメインストリートに差し掛かった。パラオで一番賑やかなコロールだけれど、今日行ったバベルダオブ島に比べるとずっと小さいのだ。
「カトウさんは恋人と一緒に暮らしてるらしいよ。フィリピンから来たガールフレンドだって」朝之が言った。