毎日連載する小説「青のかなた」 第92回
「私は今の仕事が好き。でも、何も知らない人には『イントラはタダで潜れていいね』って言われることもある。だから、さっき光さんが『命を預かる仕事なんだね』『すごいね』って言ってくれたとき、ほんとに嬉しかった。こっちこそ、ありがとね」
そう風花が笑った瞬間、彼女とのあいだにあった透明な壁のようなものが、スッと消えたような感じがした。ふしぎな感覚だった。
思えば、思南と風花は光が最も人に見られたくない姿を見せてしまった最初の相手でもある。そんな二人と、こうして楽しく過ごせるようになったのもふしぎだった。距離を置くことだって、お互いにいくらでもできたはずなのに。
「あのさ。私、光さんに謝らないといけないことがあって」ふいに風花が言った。
「謝らないといけないこと? なに?」
「私、光さんは『恵まれてる』って勝手に思ってたんだよね」
「恵まれてる?」
「そう。絵の専門学校を出て、好きなことを仕事にして、海外に長期滞在できるだけの自由も収入もある。東京には素敵な彼がいるし」
「彼! ハツミミだよ!」
思南が言うので、光は慌てた。
「ただの幼馴染だから……!」
「まあ、その彼とのことは置いておいてさ。光さんがパラオに来たばかりのとき、思ったんだ。この人、なんでこんなに楽しくなさそうなんだろうって。こんなに恵まれてるのにって。でも、このあいだ光さんが泣いているのを見たとき、『ああ、この人は私の知らないところでずっと苦しんできたんだ』って思った。人にはそれぞれ抱えているものがあって、それを、恵まれてるとか恵まれてないとか、私が勝手に決めていいことじゃなかった。そんな当たり前のこともわかってなかったんだ。本当にごめん」
風花が頭を下げるので、光はもっと慌てた。
「そんな、謝らないでよ……! 風花さんがそう考えてるなんて知らなかったし、恵まれてるっていうのは、その通りだと思うし……」
恵まれているというのは、光自身もこのところ感じるようになった。両親はそばにいなかったが、その代わりに祖父母が愛情をかけて育ててくれた。食べ物や着るものに困ることもなかったし、進学だってさせてもらえた。明人という一番の理解者にも出会えた。その他に必要なものなんて、一体何があるだろう。
「それに……」光は恐る恐る言った。
「たぶん、私も風花さんに謝ったほうがいいこと、あると思う」
「え、何?」
「私……実は沖縄で育ったんだ」
「え……えっ」
風花は大きな目をより大きく開いて、驚いた顔になった。
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