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毎日連載する小説「青のかなた」 第38回

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「そう。ルーはお母さんが大好きなんだね」

 鉛筆を絶え間なく動かしながら、光は声をかけた。なるべくやさしい声で。光の声が聞こえたのかはわからないけれど、ルーは頷くみたいに頭を揺らしていた。うん、お母さんが大好き……。そんな声が聞こえてくるようだ。この子イルカの愛くるしさをどうしても紙の上で表現したくて、素早く鉛筆を走らせていく。

「ああ、イルカの顔なら描けるんだなあ、私……」

 とにかく楽しかった。絵を描いていてこんなに楽しいと感じたのは久しぶりだ。紙の上のルーが形になってきたとき、ふっと背中に視線を感じた。
 振り返ると、ルーとメイのいるプールから、光の座っているフロートを挟んだ隣のプールで、一頭のイルカが水面から顔を出していた。手を伸ばせば触れられそうな距離で、じっと光を見上げている。ここは確かエリライのいるプールだけれど、この顔はエリライじゃない。ミランダでもケントでもアレクでもない。きっと、今朝のトレーニングのときに一瞬だけ頭を覗かせたあの子だ。この子だけは、まだ名前を聞いていない。
 光は体勢を変えて、その子に向き合った。そっと、声をかけてみる。

「あなたは誰?」

 その子は光をじっと見上げている。他のイルカのように目をきょろきょろと動かしながら光を観察したり、ごはんをねだることもない。妙に落ち着き払った、それでいて感情の読めないイルカだった。その顔を見つめていると、口から言葉が勝手に出た。

「どこから来たの?」

 その子は答えない。しん、とした静かな瞳に、妙に心が引きつけられた。「知らない人間がいるな」という感じで光を眺めるのではなく、何かはっきりとした意思を持ってこちらを見ているのがわかる。この子は、何か私の知らない世界を見てきている。そんなふうに感じた。
 もっと、この子を知りたい。話がしたい。その思いのまま、そのイルカに近づいたときだった。

「何してるんですか!」

 耳をつんざくような声が聞こえて、どきっとした。見ると、あのベテラントレーナーが、こちらに駆けてくるところだった。怒ったような顔で、光の前に立つ。光は座っているので、見下ろされる形になった。

「そんなもの持ち込まないでください!」

 あまりに尖った声に、体が固まってしまう。そんなものって、どれのことだろう。スケッチブック? 鉛筆?
 何も反応できないでいる光を見て、その人はいらいらしたように手を伸ばしてきた。光の手から、引ったくるように鉛筆を取り上げる。あっ、と追いかけるように手を伸ばした。まだ描いている途中で筆を取り上げられるのは、自分の手までも奪われたような感じがする。

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