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毎日連載する小説「青のかなた」 第94回
(94)
そうしてさんざん飲んだあと、風花は一番早く眠ってしまった。
「風花、本当に嬉しかったんだね。光と一緒にスノーケリングできたこと」
風花を寝室まで連れていった思南が、リビングに戻ってきて言った。
「私も……今日はけっこう嬉しかった。昼にスーが言ってた通り、最高の一日になったよ」
「まだまだだよ。これからの光には、楽しいことたくさん待ってるよ」
思南がにこにこして言うので、光も自然と微笑んでしまう。思南が言うと本当にそうなる気がするのだ。彼の言葉は魔法を持っているのかもしれない。
キッチンを片付けたあと、思南と一緒にソファでゆっくりお茶を飲むことにした。彼が台湾から持ってきたというガラスのポットには、緑茶のほかに、菊の花や竜眼、クコの実などが入っている。お湯の中でふんわり浮かぶ菊の花がきれいで、まるでスノードームの置物みたいだ。
「光の『素敵な彼』、どんな人?」
思南が急にそんなことを言うので、光はお茶に咽せそうになった。
「ただの幼馴染だってば」
光の話を聞いているのかいないのか、思南は「その人、なんていう名前?」と尋ねてきた。
「瀬尾明人さん。明るい人って書いて、明人。私はあき兄って呼んでる」
「そう。アキヒトさんは、光にとってどんな人?」
「うーん……一言で言うのは、難しいかもしれない。彼は私の七歳上だから、お兄ちゃんみたいに思ってた。でも……なんだろう、それだけじゃない気もする。あき兄がいなかったら、私の人生はもっと暗いものになってたから」
「そう」
思南はやさしい目をして、光の話を聞いてくれていた。
「……私、家出しようとしたことがあったの。両親が離婚して、東京に引っ越したばかりの頃。転校先の学校では肌が黒いからっていじめられるし、『お母さんに会いたい』って言ったら父に叩かれるし、とても耐えられなかった。それで、父や祖父母には内緒で、一人で名護に帰ろうとしたの。でも家を出たところで、そのとき中学生だったあき兄に見つかった。たぶん、彼は私が家出しようとしたことに気づいたと思う。でも、どうしてなのか、一緒についてきてくれたの」
「心配してくれたのかな」
「きっとそうだと思う。二人で電車に乗って、羽田空港まで行ったよ。でも、すぐに父が追いかけてきて沖縄に帰ることはできなかった。私が落ち込んでると、あき兄が『東京にも海はある』って言って、近所の水族館に連れて行ってくれた。小さい水族館だから、動物との距離が近くて。水槽の前に立つとイルカたちがそばに来てくれて、私、気づいたら笑ってた。もう名護には帰れないし母にも会えないのに、笑ってたの」