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毎日連載する小説「青のかなた」 第45回

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 その先は言えなくなった。はっきり口に出すのが怖い光の代わりに、レイが言葉を引き継いでくれた。

「捕獲された当時、アイリスには子どもがいたんです。でも、彼女だけが水族館に連れて行かれた。海に残された子どもがどうなったのかは記録に残っていません。その場でヒトに殺されたかもしれないし、そうじゃなくても、まだ母乳を飲んでいる時期のイルカの子どもは、母親を失えば死にます」

 レイの話を聞きながら、息が詰まるような感じがした。アイリスの、あのしんとした瞳を思い出す。あの目は、もしかしたら人間たちにずっと訴え続けていたのかもしれない。

 ――私を海に帰して。家族に、子どもに会わせて。

「……ああ」

 うめくような声が漏れた。光も、それと似たようなことをずっと感じていた。子どもの頃だ。祖父母を悲しませないように口には出さなかったけれど、いつも心の中で叫んでいた。ふるさとに帰りたい。お母さんに会いたい――。
 溺れている私を、アイリスは助けてくれた。でも本当は、噛みつかれて殺されても仕方のないことを、私たちヒトはしたのだ。水族館が高いお金を払ってイルカを買うのは、イルカショーが集客に……利益に繋がるからだろう。野生のイルカを捕まえて売るというビジネスが成り立つのは、水族館にお金を払ってイルカに会いに行くお客さんがいるからだ。そのうちの一人に、私も入っている。

「なんだか……恥ずかしい」光は気がつくと口にしていた。
「さっきまで呑気にイルカたちをスケッチしていたこととか……イルカが好きだなんて、平気で口にしていたことが恥ずかしい」

 光の言うことを、レイは頷いて聞いてくれた。

「僕も、いつもその思いを持っています。一度捕まえてしまったものを、海に帰すことは簡単じゃない。だから、僕たち飼育者はここにいるこの子たちが快適に過ごせるようにしないといけない。イルカたちがどんな生き物か、ここを訪れる人たちに伝えていかないといけない。ねえ、光さん。イルカってものすごく謎が深い生き物だと思いませんか?」

 レイはプールから光に顔を向けた。さっきまでと違い、そこには表情があった。笑顔だ。

「梓たちがさっきから落ち着きがないのは、光さんが溺れたことに呆れているからではないんですよ。海で溺れたヒトをイルカが助けたという話はたくさんありますが、どれも伝説です。でも、さっき実際に僕たちの目の前で起こった。すごいことです。溺れて死にかけた光さんには申し訳ないですが、僕たちは動画を撮らなかったことを後悔しています」

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