毎日連載する小説「青のかなた」 第86回
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「でも、自分がどんなことにわくわくするのかなんて、わからないよ」
「それがわからないっていう時点で、かなり疲れてるってことだよ。せっかくパラオにいるんだから、のんびり過ごしなさい。その日やらなきゃいけないことをするんじゃなくて、自分のやりたいことをするの。食べたいものを食べて、行きたいところに行って、会いたい人に会う。光に必要なのはそういう時間」
「え……そういうことやってもいいのかな」
「いいんだよ。当たり前じゃない。光の人生は、光が楽しむためにあるんだよ」
「そっか……」
ああ、おばあちゃんのこういうところ、本当に好きだなあ。つくづく思った。
この人に育ててもらえて、本当によかったなあ。
「私がパラオから東京に引き上げたとき」はるは言った。
「すっかり日焼けした私の顔を見て、周りの子どもは『黒んぼが来た』と言って、石を投げてきた。悔しかったわ。パラオではきれいな海に囲まれて、食べるものに困ることもなく暮らしていたのに、東京は寒くて、ひもじかった。いつもいつも、パラオに帰りたいと思ってた。だから、沖縄から来たばかりの光が『帰りたい』って泣いてるのを見ると、その気持ちが痛いくらいにわかったの」
祖母の話を聞きながら、「私も同じだ」と思った。会ったこともない少女のはるの気持ちが、痛いほどわかる。光も沖縄から東京に越して来たばかりの頃、黒い肌や方言をからかわれ、ばかにされた。ただ光を傷つけるためだけに、沖縄という土地自体をばかにするようなことも言われた。そのいじめは、差別は、大好きな沖縄で育ったという光の誇りを大きく傷つけた。
「それなのに、私は光に同じ思いをさせ続けてきた。こうしてあんたをパラオに行かせることで、私は少しでも罪滅ぼしがしたかったのかもしれない。年寄りの浅はかな考えだね」
「ううん」光は首を横に振った。
「絵から離れるって決められたこと、今こういう話をおばあちゃんとできていることだけでも、ここに来てよかった。あき兄の言った通り、意味があったよ」
明人が微笑む。光は今まで感じたことのない思いで、画面に映る彼を見つめた。
ともすれば光に恨まれかねないような、縁を切られないような言葉を、彼ははっきりと言ってくれた。それは紛れもない愛情だった。
幼い頃から光を知る彼にしか示せない、愛の形だった。