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毎日連載する小説「青のかなた」 第65回

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 それでも、トミオの目元に光るものを見たとき、どう声をかけたらいいかわからなくなった。光は日本人として育った。のどかだったこの島に戦争を持ち込んだ国の人間なのだ。パラオの人であるトミオに、一体どんな言葉がかけられるだろう。

「暑くなってきたでしょう。戻ろう」

 トミオがゆっくりとトンネルの奥に背を向ける。光にできるのは、彼が歩くあいだその背中に手を添えるくらいのことだった。


 洞窟を出たあとは、ペリリュー島内の各地に残る慰霊碑や戦跡を巡った。壁に残る弾痕が生々しい日本軍総司令部跡、ジャングルの中に置き捨てられた零戦。ペリリュー島での作戦を率いた、中川州男大佐の自決した場所の近くにある慰霊碑にも手を合わせた。
 戦跡を巡った最後に、トミオが連れて行ってくれたのは海岸だった。

「のどかなところでしょう」
「はい。昔のことが信じられないくらい……」

 光はビーチを見渡した。穏やかな青い海と白い砂浜。とても想像できないけれど、この場所はかつて血に染まったことがあるのだ。
 ペリリュー島の戦いで、アメリカ軍が一番最初に上陸したのがこのビーチだった。激戦のために多くの日本人とアメリカ人が亡くなり、彼らが流した血で海が赤く染まったことから「オレンジビーチ」と呼ばれている。
 光はトミオと一緒に砂浜に腰を下ろし、海を眺めた。

「光は二十七歳だったね?」
「はい」
「いい頃。これからが人生の楽しいとき!」

 トミオは笑っている。光よりも彼の方がずっと楽しそうだ。

「光、パラオのジャンヌダルクのこと、知ってる?」
「パラオの……ジャンヌダルク?」
「そう。伝説。パラオに残る」

 トミオはその伝説について話してくれた。まだ、パラオが日本に統治されていた時代のことだという。

「あの頃、コロールには日本の軍人さんのための料亭がたくさんあったよ。そのうちのひとつが『鶴の屋』。そこで働いていた久松という芸者が、お客さんだった引野少佐と恋をした。戦争がひどくなって、他の芸者さんがみんな日本に帰ったり、他の島に逃げていっても、久松はパラオに残った。引野少佐はコロールからペリリューの戦いに向かうことになった。行ったらもう戻れない。死ぬだけ。久松はどうしたと思う? それまで着物を着てきれいにしていたのに、坊主頭にして、軍服を着て、引野少佐のあとを追ってペリリューに行ったよ。そうしてアメリカの兵隊をびっくりさせるくらい勇敢に戦った」
「彼女は、そのあとどうなったんですか?」

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