毎日連載する小説「青のかなた」 第15回
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「スーはその人のために日本語の勉強を続けてるの?」
光は言った。彼が日本語を上手に話せる理由が、ずっと気になっていたのだ。思南は「うん」と頷いている。
「大好きな人の国の言葉だからね。その人も台湾の言葉を練習してくれてるよ。僕の家族に会う日のためね」
「そうなんだ……」
心からすごいと思った。光はたった一度だけ、彼氏がいた経験がある。フリーになる前に勤めていたゲーム制作会社の同僚だ。彼と光のあいだに、思南と恋人のような思いやりが芽生えたことはついぞなかった。一年半近く付き合ったのにも関わらず腹を割って話せなかったし、最後もあまりいい別れ方ではなかった。
そういう過去を「なんだかなあ」と思いつつ、自分らしいとも思う。たぶん向いてないのだ。誰かと付き合ったりするのは。
「さて、ちょっとお腹が空いたね。食べ物を冷蔵庫に入れて、ランチを食べよう!」
思南はまたにっこり笑うと、車のエンジンをかけた。
「それで、光は何を買ってきたの?」
「“Oishi”」
「Good Choice!!」
「Yeah」
午後からは、祖母の友人・トミオさんの家を訪ねた。今回の滞在にあたり、アパートや思南を紹介してくれたのもトミオさんなので、挨拶しておきたかったのだ。
トミオさんの家はコロール中心部の外れにあった。思南が家の前に車を停めると、音を聞きつけたのか、家の中からすぐに人が出てきた。花柄のワンピースを着た、ふっくらした女性だ。
「ハイ、ロシタ!」車を降りた思南が声を上げる。彼いわく、ロシタはトミオの孫らしい。
「ハイ、ヒカリサン! ――Nice to meet you!」
ロシタに抱きしめられると、彼女の大きな乳房に顔が埋まって息が止まりそうになった。家の中はアパートと似たような感じで、扉を抜けるとすぐダイニングになっている。その隣にリビングがあり、テレビの前の大きなソファに、ひとりの老人が座っていた。真っ白な髪をして、ロシタと同じでよく日焼けしているが、太ってはいない。半袖のシャツにはきちんとした襟がついていて、上品な雰囲気だった。
視線が合った瞬間、老人の瞳が輝いたように見えた。立ち上がり、そばに来る。
「光? 光だね?」
くせのある発音だが、しっかりとした日本語だった。
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