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毎日連載する小説「青のかなた」 第39回
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「鉛筆なんて、プールに落としたらどうするんですか! イルカは何でも口に入れるんですよ、こんな尖った鉛筆を飲み込んだら命に関わります! そうなったら責任取ってくれるんですか!」
問題なのは鉛筆の方だったようだ。すぐに謝らないといけないのに、言葉がうまく出てこなかった。急に叱られると体も心もぎゅっと萎縮してしまって、声が出なくなってしまうのだ。
なんだか、昔もこんなことがあったなと思った。小学校に入ったばかりの頃だ。
確か、国語の授業だったはずだ。先生が全員に配ったプリントには、ウサギやスイカのイラストが描かれていた。「この絵に描いてあるものの名前を答えなさい」という簡単な問題だった。光も最初はちゃんと回答欄を埋めていたけれど、途中の問題で出てきたゴリラのイラストを見て流れが変わった。プリントに描かれているゴリラは頭の部分だけだったので、その下を描き足してみたくなったのだ。光はプリントの問題はそっちのけで、ゴリラの体を描いた。納得のいくものが描けたら、次はその周りにお花を描く。楽しくてたまらなかった。
ふと、光の机に影が差した。顔を上げると先生がじっと光を見下ろしている。「何やってる!」と怒鳴り、光からプリントを取り上げてしまった。
「みんなを見てみろ! ちゃんと勉強してるだろう! どうして同じことができない? いつもいつも、落書きばかりして!」
お腹にまで響いてくるような大きな声に、体がひゅっとすくみ上がる。こんなふうに大人から怒鳴られたのははじめてのことで、あまりの怖さに漏らしそうになった。実際、少し漏らした。休み時間にトイレに行っていたから一、二滴で済んだのがさいわいだった。
そのあとの先生の言葉はあまり覚えていないけれど、それでも先生が光に対していらいらしているのが伝わってきた。そのいらいらはこのときが最初ではなく、以前から感じていたらしいことも。
絵は描きたいときに描いてもいいものだと思っていた。こんなふうに怒られることがあるなんて予想もしなかったのだ。
その日の放課後、母が学校に来てくれた。母と先生のあいだでどういう話し合いがなされたのかわからないが、翌日から光が学校に通うことはなくなった。
「聞いてるんですか!」
光がぼうっとしているように見えたのか、目の前の女性が怒鳴るように言った。
「あ……。す、すみません……」
情けないくらいしどろもどろな言い方になった。