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毎日連載する小説「青のかなた」 第162回

「名護で新しい仕事を見つけることはできる。でも、沖縄の企業で働くということは収入も大きく下がるってことだ。今までのような暮らしはできなくなって、積み重ねてきたキャリアも経験も無駄になる。そういうことを考えはじめると、それまでは気にならなかった沖縄の嫌なところがよく目に入るようになった。沖縄で不幸な結婚をした女の子の話を聞くと、本当にこの土地で光を育てていいのかと考えた。名護に絵を習える学校がほとんどないのも、光の可能性を狭めるように思えてならなかった」

 父の話を聞いていて、風花の言葉を思い出さずにいられなかった。本当に彼女の言う通りだったのだ。娘をどういう土地で育てるべきか――。父はそういう視点で、家族のこれからを考えていた。

「結局、沖縄で根を張って生きていく覚悟が俺にはなかったんだ。沖縄で何年暮らしても俺はナイチャーで、島の人間じゃなかったんだな」
「お母さんは、お父さんのそういう気持ちに気づいてたの?」
「わからん。でも、あるとき理子に言われたんだ。名護を出て国頭に戻りたい、そこで光を育てたいって。理子が母親を介護しているあいだ、光は国頭にいる理子の友達に預かってもらってたんだけど、国頭で過ごしたあとの光は目がいきいきしてるって理子は言ってた。名護はもうすっかり地方都市だけど、国頭には沖縄の昔ながらの自然が残ってる。あそこにある森や海や花が光の心を豊かにしてくれる。名護に比べると子どもの数が少ないから先生の目も行き届くし、名護の小学校で起きたようなことにはならないはずだって。光には名護より国頭の方が合ってるって、理子ははっきりそう言った。俺は光を東京で育てたほうがいいんじゃないかって思っていて、理子は国頭の方がいいと言う。ああ、お互いの見ているものが完全にズレてきてるなって、嫌でも気づかされたよ。そういうことが続いて、あるとき警察から連絡が来た。光が交通事故に遭ったっていう知らせだった。おまえの、その左足の原因になった事故だよ」

 父の言葉を聞いて、光は思わず左の膝に手を置いていた。もうそこに傷はないが、父の言葉に反応してうずくような気がする。

「そのとき、俺はちょうど船を降りて名護に向かうところで、連絡を受けてすぐに病院へ行った。光が事故に遭ったとき、理子は名護のマンションにも国頭にもいなくて、それで俺の職場まで連絡が来たんだ。そのあと理子とはすぐに連絡がついたけど、おかしいって思ったよ。問い詰めたら、他の男と一緒にいたことがわかった。その人は理子の小学校の同級生で、いわゆる幼馴染だった。二人は『週に一度、一時間だけ』と決めて、名護の喫茶店で会ってたそうだ。理子が母親のことや娘の学校のことで悩んでいるのを知ったその人は、『もう一時間だけ』と話して、理子をビーチに連れていった。そのたった一時間のあいだに、光は一人で外に出て、事故に遭った」

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