毎日連載する小説「青のかなた」 第26回
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「好きなだけ?」
「はい。今ならバンドウイルカの子どもがいますよ。生後一歳半の男の子です。好奇心いっぱいで、人間を見ると近寄ってきます。かわいい盛りです」
パラオに来てから一番わくわくする話だった。家の近所にある水族館でイルカの赤ちゃんを何度か見たことがあるが、子犬のように元気いっぱいで、仕草もきょうきんで愛らしかった。イルカは好きだけれど、子どもは特に大好きなのだ。会えるなら会いたい。
「決まりみたいですね」
考えていることが顔に出ていたのか、レイが笑った。
パラオで迎えたはじめての週末。朝の八時頃になって、レイがアパートまで迎えに来てくれた。あのシルバーブルーのデミオで向かうのは、PDRのオフィスだ。コロール島の隣、マラカル島のマリーナのそばにある。レイはオフィスの中に入ると、光を受付のそばのベンチに座らせた。
「ここで少し待っていてください。ミーティングがあるので」
受付の向こうにはデスクがいくつか並んだ事務所のような部屋があり、スタッフが何人か出勤していた。彼らは輪を作るように集まると、何やら英語で話し始めた。レイもそこに入っている。会話の内容は専門的で、光には理解が難しかった。ときどき、「エリライ」だとか「メイ」だとかの人名が飛び交い、あとは体温だとか血液だとか、ちょっと医療現場のような単語も聞こえる。一体何の話をしているんだろう、と思っていると、
「光さん、こっちに来て」
レイが手招きをした。彼に背中を押される形で、光もミーティングの輪の中に入る。
「Let me introduce you to Hikari!! She is Today’s Volunteer Staff!!」
レイが明るい声で言うと、他のスタッフから「ヒュー!」と歓声が上がった。あまりの恥ずかしさに逃げ出したくなっていると、一人の女性が声をかけてきた。
「人手が足りていないから、助かります。光さん、よろしくお願いします」
まだ二十代前半くらいの若い女性で、日本人だ。赤みがかった茶髪を頭の後ろでキュッとひとつに結んでいる。彼女が被っているキャップには、レイのシャツやバッグについているのと同じイルカのシルエットが刺繍されていた。どうやらPDRのロゴマークらしい。
「彼女は梓。今年入社したばかりですが、優秀なドルフィントレーナーです」
レイの言葉に合わせたように、梓が笑顔を見せる。ドルフィントレーナー。いつも水族館のイルカショーで見ていた人たちだったので、光は少し感動した。
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