毎日連載する小説「青のかなた」 第17回
(17)
「絵の学校にも行ったと聞いたよ。素晴らしいね」
「専門学校だから、誰でも入れます」
光がそう返すと、トミオがきょとんとした顔になった。「専門学校」という言葉の意味がわからないのかもしれない。光が高校卒業後に進学したイラストの専門学校は、受験の厳しい美術大学とは違って入学金さえ積めば誰でも入れる。でもそれをトミオに説明する必要もあまり感じなかったので、別の話題に切り替えることにした。
「トミオさん、昔のことを聞いてもいいですか。祖母とは友達だったんですよね」
「そう。友達だった。はるちゃんと僕は、このコロールでいつも一緒に遊んだ。小学校のとき。学校が終わると、海で魚を獲ったり、泳いだり。彼女は真っ黒になって、パラオの子どもとおんなじ」
「仲良しだったんですね」
トミオは微笑むと「そう」と頷いた。
「でもね、光。これは普通のことではない。昔、日本から来た役人の子どもは、パラオの子どもとは遊ばなかった。同じ役人の日本人の子どもとだけ遊んだ。パラオの子は、小学校を終えると日本人の家で働いた。メイドとして。日本の役人にとって、パラオ人は自分よりも下のもの。お役人じゃない、民間の日本人、それに沖縄から来た人は、パラオの人と助け合って暮らしていたけれど」
「祖母の父親は、確かコロールで巡査をしていたと聞いています。役人といえば、役人ですよね」
「うん。でも、あの頃のお巡りさんというのは、日本人とパラオ人のあいだを繋いでくれていた。はるちゃんのお父さんはパラオの人とも仲よし。いつも助けてくれたよ。僕の名前は、はるちゃんのお父さんがつけてくれた」
トミオは微笑んだ。トミオのように、日本人名を持つパラオの老人は少なくない。祖母が言うには、日本統治時代、教師や巡査など親しくしていた日本人から名前をもらったのだそうだ。
「お父さんのことを見ていたから、はるちゃんもパラオの人間をばかにしたりしなかった。自分と同じ子ども、遊び相手として、一緒にいてくれた。戦争がひどくなって、はるちゃんが日本に帰るとき、僕はお別れを言いに言った。今でも覚えているよ。僕ははるちゃんの乗った船が見えなくなるまで、ずっと波止場にいた。悲しかった。好きだったんだ、はるちゃんが。僕の初恋だよ」
心臓のあたりにそっと手を置いて、トミオは言った。初恋と、それを失ったときの痛みが、七十年以上経った今でも胸の内に残っているかのようだった。
パラオの青い海を目の前に、泣きながら手を振るパラオ人の男の子。そんな光景が、光の頭の中に浮かんだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?