毎日連載する小説「青のかなた」 第135回
(135)
「今思うとな。でも、端から見ると充実した人生を送ってる人間に見えるらしいんだよ。俺自身もそう思ってたし。今じゃ想像できないけど、その頃の俺はモテる方だったんだよ? 好きになってくれる女性はいつでもいたし、職場の同僚だけじゃなくて学生時代のクラスメイトとか後輩からも慕われてた。でも、いつも何かの役割を背負ってるみたいな感覚があって。みんなが『頼りがいがあってノリがいいのが朝之』って思ってるのがわかってたから、そこから外れるようなことはしちゃいけないと思ってたんだ」
朝之の話を聞いていて、明人にも似たようなところがあるなと思った。彼はいつでも周りから好かれているし、頼られている。それ自体はきっといいことなのだろうけれど、そばで見ていて「疲れないのかな」と思うことがある。本来の明人は集団でわいわいするよりも一人でのんびりしているのが好きな人なのに、誰もそのことを知らないのだ。
それは彼の家族も同じで、明人の母親と妹を見ていると、彼に自分の父親を求めているような感じさえする。彼女たちの中では、自分が「寄りかかる者」で、明人は「それに応える者」という図式ができあがっていて、いかなる状況でもそれが反転することはないと頭から思い込んでいるようなのだ。光は明人とは何でも話せるような仲なのに、彼の母親や妹とはそれほど親しくならなかったのはそういう理由かもしれない。
「それで、朝之さんはどうしてそういう生活を手放すことになったの?」
「手放すっていうか、落ちるとこまで落ちただけだよ。ストレスフルな生活がたたって双極性障害になったんだ」
「双極性障害って、いわゆる躁うつ病みたいなものだっけ?」
「うん。躁状態のときは『俺は全知全能だ。何だってできる!』なんて調子に乗るくせに、うつのときは『俺には価値がない。生まれてきたこと自体間違いだ』っていうところまで落ちる。俺がいつ手首を切るかわからないから、家族は家中にある刃物を隠してたなあ。俺もしんどかったけど、家族もものすごいストレスだったと思うよ。症状がいよいよひどくなると閉鎖病棟に入院することになって、嫌がって暴れたら隔離室っていうところに閉じ込められた。その部屋、トイレと寝室の境目がついたて一枚だけなんだよ。刑務所の独房みたいだろ。自傷行為に走る可能性があるからって、手足をベルトで拘束されたこともあったな。措置入院って言って、本人の同意がなくても入院や拘束ができる決まりになってるんだよ。精神科でばかみたいに大量に処方された薬を飲んでわけがわからくなっているうちに、俺は俺のことを決める一切の権利を失ってた。拘束されるのは本当につらくて、もうしないから外してくださいって泣いて頼んでも、誰も信じてくれないんだよ。『患者』の言葉は誰も信用しないんだ。そういう世界があるって、知ってた?」