君が知っている僕と、僕だけが知らない君 ①
僕だけが知らない
中学3年の12月のある朝、ホームルームに現れた担任の中山先生の隣に女の子が立っていた
人口10,000人程度の小さな漁師町に転校生がやって来るだけでも大事件なのに、高校受験を控えた中途半端な時期に転校してくるのはよほどのワケありなのだろう
『上川由美です』
その自己紹介にクラスは騒然となる
次に発せられた言葉はクラスのあちらこちらから聴こえる女子生徒からの『由美。おかえり』と男子生徒の『あーあの上川かぁ』の声
上川由美はそれらの声にいちいち反応しながら、一つだけ空いていた僕の後ろの席に座った
ただ全く反応しない僕の前を通り抜ける際に一度立ち止まり首を傾げてから着席したのだった
正確には※全く反応しないのではなく反応のしようがない※のだ
だって僕はこの上川由美を知らないのだから
それでも多少の違和感は感じていた
彼女に声を掛けていた殆どが僕と同じ小学校の出身者であり、一時間目終わりの休み時間には他所のクラスからも彼女に会いに来ている
それらの状況と会話の中からある程度の情報は仕入れることができた
【小学校6年の時にこの町から引っ越した】
【父親が単身赴任になり母親と妹の三人で母親の実家で暮らすことになった】
【彼女の小学校からの親友は遠野ゆかり】
しかし、それら情報と照らし合わせても全く彼女の記憶が僕にはない。ほんの3年前の記憶がだ…
大袈裟に言うのならば同じ小学校の出身者で『僕だけ』が彼女を知らないことになる
他所のクラスならば『忘れていた』で済む話か適当に話を合わせていれば良い。
だが困ったことに上川は直ぐ後ろの席で給食の時間になり机を縦に並べた時には間違いなく彼女と席が隣り合わせになる。
転校生の女の子に若干の話し難さはあったとしてもまるっきり無視と言う訳にもいかない
不安になった僕は次の休み時間に隣のクラスの遠野ゆかりを訪ねた。少しでも上川由美の情報を得たいのと、彼女の親友ならば由美について何かを思い出すキッカケをくれるかと思ったからだ
幸運なことに遠野ゆかりは小学校1年から去年までずっと同じクラスで、思春期真っ最中でありながらも恋愛感情抜きで話せる数少ない女友達だ
『ゆかり。上川のことなんだけど』
突然この名前を切り出した事にゆかりは目を丸した。直後、不機嫌そうなため息を一つつく
『アンタさあ、いくら何でも転校初日から由美の変貌に目をつけてアタシに恋愛相談に来るかね?』
『ばっ馬鹿、違うって。でけえ声出すな』
どうやら遠野ゆかりは思春期真っ最中の恋愛脳らしい
『そうじゃなくて俺アイツの事覚えてないんだ…いや思い出せないとかじゃなく初めから知らないと言うか』
その言葉にゆかりの不機嫌さが増した
『アタシをからかいに来たのか知らないけど…小学校の頃ずっと同じクラスだった由美のこと知らないとか酷くない?それ全然笑えないよ?』
(同じクラスだった?上川と俺が?)
『もう行って。次は牧原の数学だし、アタシちょっと気分悪いわ』
それからは何も聞けなくなったので、『ゴメン』と一言言ってゆかりの席から離れた
急にしおらしくなった僕に驚いたのか、ゆかりの『えっ』という声が聞こえたが、それに振り返ることなくそのまま教室を出た
もちろん、ゆかりを怒らせたバツの悪さもあるが頭の中は何年間も同級生だった上川由美の事を覚えていない罪悪感に似た一種の怖さから彼女に関する情報を仕入れる事を拒否した。不安材料をこれ以上抱えたくなかったというのが正直な気持ちだった
気のせいなのだろうが3時間目は背中に痛いほどの視線を感じたまま過ごすことになる。そのせいか次の休み時間は誰にも会わない場所を探してそこに隠れていた
4時間目が始まった。そこで僕は『あっ』と声をあげて、即座に安堵のため息を漏らす
人間、疑心暗鬼に陥ると他のことにも神経が行き届かなくなるらしい…僕はもう一つ大事なことを忘れている
(今日って土曜日だよな)
ハナっから給食もなければ、その後の罪悪感に押しつぶされながら午後を過ごすこともない
その恐怖心から解放された僕はつい振りいてしまう
(あ、ヤバい)
由美と目が合ってしまった
(何やってんだよ俺)
『何?トールってば前向きなよ。授業中だよ?』
不安は的中してしまった
彼女は僕を知っている…