ちょうどいい幸せ ①
【それはイカンよキミ!】
『お早うございます!』
毎日同じ時間になると扉を開けてこの声が聴こえてくる
事務所の入り口の真ん前に席があるボクは、この元気過ぎる女の子の声に驚き何度か椅子から滑り落ちそうになった
その度にまた一段と大きな声で『大丈夫ですか!』と言ってきてオフィス中の注目を浴びることになるため、近頃は彼女来る時間には自然と椅子に深く腰を掛ける習慣が出来た
彼女は取引先の写真の現像所の集配スタッフで、撮影済みのフィルムを回収したり、出来上がった写真を届けてくれる
基本…写真や撮影についての知識はゼロに近いので、『ここの色をもう少し…』等と言う話には堂々と
『わかりません!』
と、これまた大きな声で答える
彼女だけでなく《入り口に近い席》のアドバンテージは、その他諸々の業者さんに対する対応者にはなるので、取引先からは必然と我社で一番顔を知られた人物になる
なのでスーパーなどで買い物をしていると、もれなく誰か彼かに遭遇して《ご挨拶》の対象になる
彼女もそんな一人だった
数ヶ月前に帯広に転勤してきたばかりのボクは特に通うようなお店もなく、スーパーの惣菜コーナーの割引お弁当ばかり食べていた
その日も何時ものように、割引お弁当を選んでいると
『それはいかんよキミ!』
と背中越しに聞き覚えのある《声量》と『パーン!』と背中を叩く音がした
『あぶなっ!カゴ落とすところだよ?』
声の主に100%の自信があったので、振り向きざまにそう答えた
ところが…振り向いた先には、小柄ではあるがちょっと強面の見知らぬ年配男性と人の良さが顔に出ているこれまた見知らぬ年配女性
(えっ誰?)
『あっあの…』
思いっきり勘違いしていたのと、理由なく背中を叩かれたのが合間見合ってドギマギしていると、今度はまた反対側から大きな笑い声がする
再度振り向くと《背中を叩いた後、サッと身を移動させた》犯人がそこにいた
『ウチのお父さんとお母さんだよ』
彼女はそういうとまた二人の間に入り込み
『この人だよ。前に何度か話した取引先の椅子からしょっちゅうコケでる人』
と、余計な情報を加えてボクの事を紹介した
(100%お前のせいだけどな)
そう思いながらもあらためてご挨拶する
(てか、コケる度に親にいちいち話するなよ)
『まぁこれはこれはいつも娘がお世話になってます』
と頭を下げる
ボクも『いえいえこちらこそお世話に…』と頭を下げると間髪入れずに
『こういうモノばかり食べてちゃ駄目じゃない』
と食い気味に声をかぶせてきた
しかも声の主は彼女ではなく彼女の母親だ
『一人暮らし?だったら今度お家にいらっしゃい』
『はぁ…ありがとうございます』
もちろん社交辞令の会話なのだが、強面の方はボクにひと睨み効かせると
『一度キチンと挨拶に来るように』
と言いながら二人に『行くぞ』と声をかけた
どうやら、何かものすごい勘違いをされたようだ
『何が好き?』
翌日、何時もの時間の『お早うございます』の次のセリフだった
『えーと…何の話?』
受領伝票にサインをしながらこう答える
『何って好きな食べ物。お母さんが聞いてこいって…』
『ちょ…えっ?』
どうやらボクの知らないところでいろいろと話が進んでいるらしい…
『ま、今日は私の好きな骨付きモモ肉のコンソメ煮込みなんだけどね』
『今日はって今日?昨日の今日?』
『どうせまたお弁当なんでしょ?お母さんもああ言った以上引っ込みつかないみたいだし…』
確かに悪い話ではない
恋愛感情とまではいかないにせよ、目の前の元気印の女の子に好感を持っていたのも事実だし
でも…いきなり家に誘うか?
(誘ったのはお母さんだけれども)
『じゃあ6時に駅前で』
そう言い残して彼女は去っていった
その後、この一連のやり取りを聞いていた同僚達にあれやこれやと詮索されたのだが、昨日の一件を信じるヤツは居るはずもなく
《入り口前の席を利用したナンパ野郎》
という不名誉なレッテルを貼られたのである
【いろいろと誤解が誤解を呼ぶ】
全くの無意識(と言うより仕事終わりなので)でボクはスーツのまま帯広の駅前に立っていた
もちろん、初めてお邪魔するお宅なので手土産のケーキ(2000円相当)を用意した
約束の時間通りに彼女の白のミラージュが僕に近づくと軽くクラクションを鳴らした
『お待たせ…さぁ乗って』
助手席の窓から身を乗り出す形で彼女は言った
『いや、俺も車なんだけど…』
彼女は暫く考えたあとに『じゃあ後ろついてきて』と駐車場からボクの車が出るのを待ってから彼女の家へと車を走らせた
彼女の家は帯広を流れる十勝川を渡って少し行った先で小さな車の修理工場を営んでいた
そこに併設された駐車場の一角に車を停めると彼女は『こっちこっち』と手招きしている
『あの…俺、いつも名字で呼んでるから君の下の名前知らないんだけど』
本当はウチの事務員さんと《下の名前》で呼び合っていたから知ってはいたが、会話の際にいきなり名前を出すのも
『何この人?』
と思われそうだったので…
『あ、そうか…あたしはかおり。ひらがなでかおり。あとあたしはキミのフルネーム知ってるから』
そう言いうと、太陽のような笑顔をボクにみせた
それにしても、どうしてこんなコトになったのか
まさか彼女がボクに好意を…んなわけ無いか
過度な期待は持たないに越したことは無い、『毎日割引弁当を食べている可愛そうな男に家庭料理でも』という、田舎特有の人の良い家族なだけだろう
『お邪魔します。今日はご招待いただきありがとうございます』
出迎えに来た彼女のお母さんに手土産のケーキを『どうぞ』と言って差し出した
(この時点で3日分の食費が飛んでいるのだけど)
昨日あったばかりの彼女のお母さんは『まぁ、かえって気をつかわせたみたいでごめんなさいね』と言いながら、奥にいる父親に『これ頂いたわよ』と報告をした
これが良かったのか悪かったのか…
ボクの格好と手土産を見た瞬間に、強面の父親がより一層厳しい顔になった
後から聞いた話だと
《スーツに手土産》=《結婚の申込み》だと盛大な勘違いをしていたのだそうだ
どうりでその日彼女のお父さんの口からは『ああ』とか『おお』くらいしか出なかったわけだ
To be continues