鉄道をひくということ。(愛川町日記 2014年7月16日より転載)
地図を見ている。
愛川町の地図だ。
相模原と愛川町をつなぐルートはいくつかあるが、
高田橋
ここに注目したい。
昔、この橋を鉄橋にする計画を持つ鉄道があった。
相武鉄道だ。
都内から当時の避暑地であった城山町葉山島につながる鉄道である。
昭和恐慌などで計画は頓挫するが、この鉄道が完成し、今でも汽笛をあげていれば、相模原と愛川町の地図は大きく変わっていただろ。
鉄道は上溝、田名あたりまでは布石があったが、私が見たかったのは
相模川を眼下にし、丹沢を背にし、この高田橋を渡る列車だ。
果たして高田橋までいかにして線路を降ろし、いかにして愛川町・葉山島方面へと線路をつなげるのか?
時間軸を現在に戻す。
当時から「愛川町と鉄道」は遥かな片思いなのだ。
今、目の前には
小田急線延伸の話がある。
奇しくも、相武鉄道と同じ様なルートを通るだろう。
時間軸は現在に戻っている。
当時のように田名と愛川町には、すでに住宅地が展開し膨大な線路を通す土地はない。
ならば、地下を。
ならば、この「高田橋」をどうする?
小沢の坂の急勾配はどうする?
愛川町に鉄道を。
それは、多少に政治的お題目なのかもしれないが、愛川町の人々には宿願なのだ。
しかし、鉄道をひくとは莫大な時間と労力と資金がいる。
愛川町に鉄道を。
これだけに固執してはならない。
人口が減り続ける愛川町にとって、それが抜本たる対抗策とはいえないだろうが、鉄道はあまりにも悠長な計画なのだ。
「主たる計画」には「枝となる計画」がある。
バス路線の拡充や乗り合いタクシーの運行、今手をつける即効的な計画を平行して進めなくてはいけない。
何年後かに愛川町に鉄道が通る。
愛川町に「大きな入り口」が出来る。
そして、たくさんの人が愛川町にくる。
問題はそのひとびとが愛川町にとどまるかだ。
「大きな入り口」は、同時に「大きな出口」である。
立派な入り口ができても、町に魅力がなくては、一過性になるのだ。
立派な玄関ができても、家具や内装に魅力がなければ、人は住まない。
鉄道をひいても、衰退していく町もある。
鉄道をひくとはあくまでも「交通の主たる計画」であり、「町作りの主たる計画」にはならないのだ。
圏央道相模原愛川インターがある。
これも「立派な入り口」である。
将来的に鉄道が愛川町にできた場合、このインターをめぐる成長力が、ひとつの試金石になる。
鉄道をひく。
それが最終目的になってはいけない。
鉄道は、人とモノと
夢を運ぶのだから。