浅利明神慰霊祭 (愛川町日記 2016年9月25日より転載)
三増合戦で討ち死にした武田家武将・浅利信種の慰霊祭に参加しました。
浅利信種は浅利明神として今でも三増区に奉られています。(討ち死にした場所ではないようです)
木刀を奉納するのが慣わしで、目に御利益あるそうです。
ただ、北条方の北条綱成配下の鉄砲隊に銃撃されて討死したそうなんで、墓前で鉄砲をぶっぱなすと信種さんかなりビビるでしょうね。
浅利右馬助信種は武田方の侍大将で、24将の1人にかぞえられた勇武の人と伝えられています。
史書によると、永禄12(1569)年10月の三増合戦に時、信種は武田軍の左翼にあって奮戦していましたが、小田原方北条綱成配下の放った銃弾を受け、この丘の下で戦死しました。
信玄は信種の死を悼み、墓をつくって篤く供養しました。その後、寛政元(1789)年、村人が墓のわきを掘ったところ小さな骨壷が出てきました。人々はこれを信種の遺骨として、墓地の北にまつり直し、浅利明神として尊崇、以来、除疾、除災等の験あらたかな神とし、祈願成就の際、木太刀を奉納する習わしが今に伝わっています。