境を越えて。(愛川町日記 2015年2月23日より転載)
愛川町に住んで3年。
その前から取材で愛川町をうろうろしている。
その前は相模原住みに、その前は大阪に、その前はアメリカに。
その前は、とさかのぼればきりがない。
私は九州の宮崎県で生まれた。
この時期はプロ野球のキャンプでテレビ画面越しに故郷を見ることが多い。
その他、「宮崎県」が関東の人々の俎上に上がる事は少ないであろう。
しかし。
宮崎で起きたことが、愛川町に繋がることになる事柄がある。
「鳥インフルエンザ」、だ。
宮崎県は養鶏・畜産が主な産物の一つである。
だからこそ、鳥インフルエンザや口蹄疫、狂牛病は大きな打撃を受ける。
宮崎では2014年12月には鳥インフルエンザは4万羽が殺処分になり、今年は1月には佐賀県で鳥インフルエンザが発生している。
今の所、鳥インフルエンザは西日本に蠢いている。
そして、その対応策は「密閉滅殺」として何万羽もの鳥が「処分」された。
1997年の香港でのHPAI(H5N1型)による死者発生の際には、直ちに香港全域の鶏淘汰の措置がとられ、パンデミックが回避された。
2003年~2004年の東アジア養鶏業での鳥インフルエンザの流行では、世界で1億羽のニワトリが淘汰されたといわれた。
さて。
愛川町と宮崎。
なにが繋がるか。
愛川町にも三増に大規模な養鶏場がある。
鳥インフルエンザに関しては養鶏場からの情報を見る限り対策はなされているようだ。(あくまでも主観は養鶏場からではあるが)
問題は「発生」した時である。
いわゆる「パンデミック」を防ぐために様々な対策がとられる。
「消毒場所」を中心とした「移動制限」と「搬出制限」である。
「移動制限」とは
「発生農家を中心として半径20km以内の地域」内を指し、
生きた牛、豚等の移動禁止、
と畜場及び家畜市場の閉鎖、
家畜の飼養管理用具、敷料及び糞尿等の移動が禁止されるほか人工授精も中止される。
「搬出制限」は
「発生農家を中心として半径20kmから半径50kmまでの地域」内であり、
生きた牛、豚等の地域外への移動が禁止されるとともに、
家畜市場や共進会の開催が中止される。
先出の佐賀県の事例にあわせると
かなりの広範囲となる。
愛川町の養鶏場があるエリアにこの地図を当てはめてみよう。
三増にその中心点を置けば、「搬出制限」はほぼ愛川町を覆い、「移動制限」は愛川町の西部分の機能を停止させることとなる。
「移動制限」内には津久井へむかう大きな道がある。物の移動が制限されるということは人の移動も制限される。箕輪などの愛川町東部から津久井地域へむかう場合は大きな迂回が必要となる。
また、三増・半原地域は愛川町の観光資源があり、そこへの打撃も大きいだろう。
消毒場所の設置や養鶏場への対応には大きな資金を浪費する。
だからと言って、養鶏場をなくすことはできない。
愛川町の養鶏は、今となっては神奈川で有数のものとなり、愛川町のブランドとなっている。
愛川町にとって、鳥インフルエンザは「災害」なのである。
だからこそ、「予防」をすることには最善を尽くし、「発生」した場合は早期に終結できるように町を上げて取り組まなくてはいけないことになる。
圏央道の相模原ICがまもなく完成する。
これまでよりも多くの人やモノが愛川町の外から流れ込む。
そして、その流れは中津川のような清流ではなく、「病原体」や「犯罪」などへの要因も溶け込んでいる可能性もあるのだ。
交通網が整備されることにより、日本は狭くなった。
それは決していい面ばかりではなく
九州という愛川町からはるか遠い場所の火事が、愛川町に飛び火する確率を若干あげたのだ。
その流れの中では
もはや過去の「想定内」は通用せず
「想定外」への想像と対処をしていく必要がある。
そうなれば、「愛川町」という枠組みすら維持が難しくなるだろう。
「想定外」が発生したときにこそ
町の真価が問われる時であろう、