六地蔵。
久しぶりの緑区役所。
ミウル、って案外でかいよな・・・(#゚Д゚)
150センチ以上あるぞ
台風19号からまだ1年経っていませんね。
昨今の雨の災害ニュースを見ていると「緑区の旧津久井側は大丈夫かな」と思ってしまいます。今日も雨です相模原。
時間があったので、緑区役所から下九沢へ
さすが「下九沢」。
いや、いつも呼んでいるようにいわせてくれるかい?
「シモク」。(「下九沢」の相棒「上九沢」は「カミク」と呼びませう)
こういうの見るとシモクっぽいな。
シモクの交通の要所・内出の交差点。
「六地蔵ってあのファミマがある交差点にあるやつですよね」
確かにこの石塔・石仏群をぱっと見ると「六地蔵」っぽんだよね。
でも地蔵じゃないし。6以上いるからね。
こちらの石塔・石仏群は県道の拡張工事でこちらにご遷座されました。
場所はこちら
年代はばらばらで念仏塔には元禄十一年(1698)とあります。珍しいのは、地神塔で安政二年(1855)。地神は百姓の神様と言われている所から、内出宮本講中の造立と思われます。
こっちが「六地蔵」。六地蔵の交差点(六地蔵の交差点も二つあるので注意)のセブンイレブンの裏にあります。
内出の交差点も角にコンビニがありますので、まちがえやすいかも。
でも、よくみると、7体いるな・・・(笑)
建立は明和2年(1765)江戸時代中期ですから内出の石塔・石仏群の中にはこの六地蔵より古いものがあるんですね。
明和2年頃は、関東で二十万人の農民一揆が起こり極度に疲労した農民を救うために、 信仰に生きがいを求め祈願したのではないかと推測されるそうです。
県道ができる前は、この六地蔵の前の道がメインの道だったんでしょうね。
ちなみに六地蔵とは
昔から地蔵とは、さいの河原(地獄と極楽と分かれるところ)で、衆生を救い、 極楽へ行けるよう働いてくれると信ぜられ、広く一般庶民に信仰されました。 仏道には、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道・声聞道・縁覚道・ 菩薩道・仏道と十の教えがあり地獄から天までの六道を巡りながら教えを広め 衆生を救うことからその分身を六地蔵として信仰するようになったそうです。
六体にはそんな意味があったんですね。
ここにはもう一つの文化財が
この看板の場所が悪いよね(笑)
ここだもん(笑)六地蔵の説明板に見えます(笑)
六地蔵のすぐ向かって左の一段高いところにあるのが
相模原市登録有形民俗文化財
登録年月日 平成16年4月1日
徳本は江戸時代後期に念仏を広めて歩いた僧で、村の念仏講中は徳本の独特の書を求め、 念仏塔を建てました。
相模原市教育委員会
シモクにはこのような文化財がごろごろあります。
集落の成り立ちが古く、主要街道が走り、信仰心がある地域なんですね。
新磯もそうだけど。
地域全体が「博物館」みたいです
シモクを歩くと、のんびりできますね
みなさんもたまには歩いてくださいね
シモクを。