ベトナム人と英語
さて、一般の(別の言い方をすれば素人の)ベトナム人女性とどうやって出会えばいいのか。方法はいくらでもある。
例えばLINEは、海外でアカウントを取得すると「近所の人を探す」という機能がついてくる。周辺数キロに渡ってLINE使用者が検索できるというわけだ。
同じくベトナム版LINEともいうべきZaloにも同じ機能があるし、Tinderなどの出会い系アプリもベトナムで浸透している。まさしくよりどりみどりだ。
唯一にして最大の課題は、言葉だった。
ぼくは着任当時、ベトナム語で「こんにちは」を何と言うのかすら知らなかった。英語はほんの少し分かるだけ。こんなレベルの人間を海外赴任させてどうするんだ、と本社に言ってやりたいくらいだったが、それができないサラリーマンであった。
一般ベトナム人の英語力は、日本人と変わらない。観光地や、観光産業に携わっている人、意識高い系と思われる人は英語を話すが、外国人から見た日本人がそうであるように、発音の癖が強くてなかなか手こずる。
なんせ子音だけの「S」が完全に抜けてしまうのだ。
例えば「STOP」はトップだし、「SCAN」はキャンになる。
おまけに語末の音は大抵発音されないので、何を言っているのかさっぱり分からない。
しかし、ベトナム人英語話者の困るところは、実はそんな些末なことではなかった。意識がバリバリ高いのだ。
ぼくは市場へ行って野菜や果物を買ったり、屋台で飯を食ったりして、現地人のように暮らしているというのに、英語話者ときたら、意識がバリバリ高いので、すぐ高級なレストランへ行きたがる。
行ったら行ったで、けっこう高いもんを遠慮なしに注文するし、料理が出そろったら写真を撮るばかりでろくに食べない。意識が高いので、ダイエットをしているのだ。
「残さず食べてね」などとぼくに微笑むが、この頃にはぼくはもううんざりしている。食事の後は当然コーヒーだ。ベトナム人は食後に路上でお茶を飲んだり、喫茶店に入ってお茶を飲んだりするのが元々好きだが、英語話者はベトナム版のスタバ「ハイランドコーヒー(ベトナム人風に言うとハイラーン)」に行きたがる。
ハイラーンは一杯300円くらいからで、ベトナムの物価を考えたらけっこう高い店だ。
そこでコーヒーかお茶を飲みながら、ぼくは自分がどうしてイマイチ乗り気になれないか考える。
ぼくは英語のノリが嫌いなのだ。
ネイティブが話しているのは何ともないのだが、英語を身につけた非ネイティブが大げさな身振り手振り、大げさな顔芸をさらして話しているのを見ると、なんだかげんなりしてしまう。
英語話者になると、どうしてこうも自己主張をしたり、議論をふっかけたりしたくなるのだろう。英語話者たるもの、ディスカッションをしなければならないのだろうか。
そのうちに、ぼくの意識は遠く離れていく。
そして、この子はベトナム語で話すとき、どんな雰囲気なんだろうと考え始める。
きっと、こんな風に目をひん剥いて、どうでも良いテーマについて持論を展開することなどないはずだ。だって、どうでも良いのだから。
だいたいにして、ぼくは議論できるほど英語が上手ではない。だからただ、「うん、うん」「私もそう思います」「私はそうは思いません」「もちろんです」などを適度にシャッフルして、にこやかに答えるだけだ。
そのうちに、植わっている巨大なバナナの葉が、さらさらと風になびいて明確な結論をささやいた。
さよなら英語話者。キミたちはお金がかかるし疲れるし、ベトナム人と一緒にいる気分すら希薄なので、グッバイだ。
こうして、ベトナム語の勉強が始まった。一般のベトナム女性と懇ろ(ねんごろ)になるための、大いなる第一歩だった。