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「ありのままの自分」をわざと邪魔する「〈アタリマエ〉教の教祖」

「ありのままの自分」を受け入れ、信じ、愛すること。
noteを始めて、このことの大切さを多くの方が仰っているのを拝見し、勇気づけられてきました。
私自身、そのような記事を毎日読むのが本当に楽しみですし、執筆者の方もワクワクされているのだと思います。

この「ありのままの自分」に気付き、大切にすることは、〈アタリマエ〉教(=ヨノナカの「~(す)べき」「~(し)なければならない」を、絶対のものとして信じて疑わない思考様式)によって妨げられていると、私は考えています。
そして〈アタリマエ〉は、実は〈誰か〉によって生み出され、コントロールされているのではないか、と感じています。

残念ですが、その〈誰か〉(=〈アタリマエ〉教の教祖)の存在を「えびでんす」や「ショーコ」を付けて証明することは、私の力ではできません。
もしそのようなえびでんすやショーコが本当にあったも、教祖は必ず隠蔽するでしょうから。

「ありのままの自分」を信じることは、ヨノナカの「宗教」や「信仰」と比べれば実に単純明快なあり方です。
以前「〈よい依存〉は生きる上で必要だ」という内容の記事でも書きましたが、人間には何らかの「心の拠り所」が必要だと思います。
多くの宗教や信仰は、神様や〈アタリマエ〉など、自分の外にある事物を心の拠り所にしています。
それに対して「ありのままの自分」を信じるということは、自分自身が心の拠り所ですから、時間や場所を選ばず、すぐに実行することができます。

なぜ、このヨノナカでは「ありのままの自分」を信じることが難しくなっているのだろうか?
ひょっとして、人々が「ありのままの自分」のパワーに気付かないように、教祖がわざと人々に〈アタリマエ〉教を信じ込ませているのでは?

〈誰か〉が存在しているとすれば、「ありのままの自分」がないがしろにされている現状を説明することができる

そう感じるのは、私だけでしょうか?

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