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30歳過ぎて、NY留学した話 #11 -フリーランススタート

2018年12月。約1年のビジネスコースを修了し、無事卒業。卒業前に次の進路を明確にし、労働許可を申請。

最終的に労働許可は、その2ヶ月後に来たため、実際働くことができたのは、その許可証を貰ってからだった。

私は、フリーランスとして働いた。渡米前に働いていた広告制作会社にその旨を伝えたところ、たまたまカルフォルニアで開催される日系企業の講演会及びパーティーの仕事が入ってきていた。

なんて、ラッキーなんだ。


もう、それしか思わなかった。

それから1年間は、ランダムに大型のイベントの仕事が入り、その仕事の手伝いをしたり、ソーシャルメディア広告の仕事をするなどし、社会人としての一歩を再び歩み始めた。

仕事をしていく中で、どうしても私一人の力ではどうにもならないのが、イベントだ。サポートしてくれているスタッフがいて、制作物をデザインから物理的なものにする人が必要となる。

仕事をする中で、そのプロジェクトに協力してくれそうな企業に問い合わせを行い、現地でのパートナーを増やして行った。

自分はアメリカ企業で働いたこともないし、インターンもしなかった。それをしないことは、もったいない気もしたが、自分だけにしかできない自分の時間を大切にしたかった。

後半になると、複数のビジネスパートナーと過ごす中で、非常にクオリティの高い制作陣が沢山存在していることも知り、自分の「やり方」を彼らと一緒に発達させたいと思い始めた。日本式ではあるが、東京のトップブランドのBtoBイベントを構築してきた私には、その方式を取り入れながら、アメリカという国に進出する日系企業をサポートしていきたいと感じていた。

仕事は、コワーキングスペースから行っていた。最初は家の近くのクイーンズにあるワークスペースから働いており、数ヶ月後にブルックリンにあるスペースに移動した。

本当に現代は、なんでも容易にしてくれる。コワーキングスペースもインターネットで問い合わせて見に行ったりもしたが、ネット入会すればすぐ入れる。そこに行けば、コーヒーは無料で飲めるし、Wi-Fiも完備している。お隣さんが近いので、電話するのは少し不便だが、多くの場所にはPhoneブースが設置されている。夜遅くまでいても24時間オープンなので、特に問題なし。

そのため、仕事をするには何一つ支障が出なかった。

また、もう一つ良かったことといえば、日本と連携する際に、日本で営業が終了して出来ない作業を引き継いで行えたり、日本からアメリカ現地で確認して欲しいことを日本の夜に受け取り、日本の翌朝までにフィードバックできたために、時差を上手く利用できた。ニューヨークが日本と13/14時間離れていたために、出来たことだろうと思っている。

そんな訳で、私は約1年間をニューヨークで過ごし、一人で働いていた。新しいことを行えたことは楽しかったが、一人で動くということは、なんとも孤独だと感じる毎日だった。