30歳過ぎて、NY留学した話 #13 -米国ビザ取得
「さて、これからどうしよう。」
この頃、元々働いていた日本の広告制作企業からアメリカ支社の設立の話が出始めていた。調べていくと、プロジェクトが発生していないにも関わらず、税金に関するものも含めて、まだ設立にはリスクがあると判断し、設立話はすぐに立ち消えとなった。
しかし、今後アメリカをベースに働きたいのは変わらない。マーケットの広さ、文化的に自由度の高い働き方、アメリカという国の考え方と人々の人柄に魅了されていた。どうすべきか。
そう悩んでいた時、ルームメートの一人に相談することが出来た。彼女は、いわゆる "Cool" だった。彼女は、日本で社会人を送った後に、アメリカの大学に入り、ステージマネジャーになった。ステージマネジャーとは、舞台でステージの全体を取り仕切る職業だ。私とは、ビジネスカテゴリーは違っても、同じタイプの職種だ。自らアメリカというサバイバル地域で、自分の地位を確立させていた。勇敢だった。私には出来ないことだった。
彼女はO-1ビザ、いわゆるアーティストビザと呼ばれるビザをすでに取得しており、活躍していた。彼女に相談していると、彼女の知り合いでプロデューサー業で同じビザを取得している人がいるということが分かった。
以前、日本人の様々なクリエイティブ業のO-1をサポートしているアメリカ人弁護士に話を聞いたところ、私のやりたいことはマネージングパートが多く、O-1取得は厳しい、というお話しだったため、諦めていたとことだった。そのため、そのプロデューサーの方に話を聞きに行った。また、、新たにご紹介いただいた弁護士さんに会いに行った。
弁護士さんには、私の職業でも可能性があり得ることを教えていただいた。ビザの取得のためには、推薦状が必要だった。また、それだけではなく、ジョブレター(採用決定書)や自分が実施したプロジェクトのメディア資料など、様々なものが必要となった。これを全て集めるのは、非常に時間がかかった。
また、それまでも幾度となく書き直したレジュメ(履歴書)を更に細かくする記載する必要があり、こちらも大変だった。CVと言われる職務経歴書で何を実施したのか、その企業はどういう企業かなどを調べ、全てを書き記した。私の英語では言い回しなどが不足する部分もあったため、校正会社にも見てもらった。
そうして準備が最終に近づいてきている間に、それまでの学生ビザが終了し、同時期にコロナも加速化して行ったため、一度日本に帰国した。
日本に帰国後、渡米前の広告制作会社に復帰し、同時にビザの申請を行った。受領後数ヶ月でビザの書類審査が通り、その後、面接を行い、無事ビザが取得できた。
現在も日本で働いているため、ビザは全く使っていない。しかし、今後長期的に米国での仕事が入った場合も、そのビザを使用し、労働が出来るのは非常に心強いと思っている。
今は、アメリカ向けのプロモーションサポートなどをベースに新規プロジェクトを狙っているが、コロナの影響もあり、まだまだイベント業界がコロナ前に戻るのは時間がかかりそうだ。
今後の世界状況、私の努力、そして、運に期待したい。