30歳過ぎて、NY留学した話 #5 -会社からの理解
正直私は、渡米する前にほとんどの友人に留学することを言わなかった。だから、義理がないと冗談めいて私を呼ぶ人もいた。当然だと思う。私はとにかく消えたい、という思いでいっぱいだった。
それから、様々な理由を装備して、私はアメリカに行くことを決めたが、アメリカで何をするかは説明しなかった。聞かれても、「英語を勉強したり、ちょっと休んだり」と説明を濁した。
なぜきちんと説明しなかったのか、と聞かれると、自分が目指した「もっと国際的な人材になりたい」ということを言うのが恥ずかしかった。なれる保証もないものを大きな声で言う自信も、全てを笑い飛ばす自信も自分には無くなっていた。
よく30代を目の前にして、人生に迷い旅に出る女性のドラマがあるが、自分も全く同じ心境だった。自分の全てにおいて人生の迷子になっていた。行き先も分からない、目指すものも分からない。理由を並べ、なんとか自分を奮い立たせ、前に進もうともがいていたように思う。鬱っぽかったといえば、そうなのかもしれないが、ただただ暗い気持ちが続いていた。
会社の人にも多くを説明しなかった。当時社員は50名程度で、新卒で入社している私は、全員のことをよく知っていた。その誰にも、詳細なことを言わなかった。もちろん今まで良くしてくれた会社代表にも、メンターのような存在の上司にも。今後留学生活を通して、どうしていきたいのかも、暗い気持ちの中に芽生えていた私の野望についても、何も説明しなかった。
私は、入社以来会社が好きだった。アメリカ行きを決めた辺りは「もうやっていられない」と仕事に対して嫌気は差していたが、会社が嫌いになった訳ではない。
最初会社には、留学をしてくることを伝えた。もちろん完全に会社から離れるつもりであった。しかし、留学が現実を帯びてくるにつれて、会社とは留学をしてもつながりを持っていたいと思い始めた。
自由な選択をさせてくれる会社だからこそ、つながりを維持しておきたかったんだと思う。会社という場所を完全には離れたくなかった。イベント業界にも居続けたかった。でもそれは、この会社にいるために、この業界にいたかったに近かった。業界にいる理由は、その会社にいる理由だとも分かっていた。
それから、何か恩返しをしたいと言う気持ちもあった。いずれ「何か」一緒にできればと言う気持ちもどこかにあったんだと思う。
そのため、物理的に会社を離れても関係性を保ちたい旨を伝えると、代表も副代表も理解をしてくれた。
入社してから、自由な、時に自分勝手な発言ばかりしてきた私の一番の我儘だったと思う。それを許してくれた二人には感謝しかない。
そして、私は会社との関係を途切れることなく、ニューヨークに行くという、少し変わった留学方法をすることになった。