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どうもkumanutsです。

記事の中身を見てないのにスキするのは嫌い。緩く関係を作るためのスキ、自分のも見て欲しいからするスキ。
見てないってわからないなら気にすることもないけど、見れちゃうから、気になってしまう。開かなくても全文見れるような量は書いてない。私はあっちもこっちも連絡を取るというのが苦手だから、私の生活に重要でない人とは自然と疎遠になる。ふとした時、瞬時に心の中に思い出すような人だけが残る。というかそういう人としかいい関係を結ぶことができない。
必要な人は、大切な人は、いつも心にある。


今日の未来予想

自習室→母の家→父の家→寝る。
さあ、もう年末だ。受験生にとっては受験が終わる時が年末だって、高校の先生は言ってた。


振り返り

父母が離婚したことは今となってはあんまり興味ない。別居してることに不便を感じることや、2人が老いた時に不安が残るぐらいだ。私は小さかったし、両親も隠そうとしていたから内容も原因も知らない。少なくとも今は、知りたいとも思わない。まあ隠すことは当然無理だったんだけど。とはいえ参加したら何かできたとは思わないけど。
対して、一番上の姉は苦労したようだ。主に仲裁のために。他人事のような言い方で申し訳ないが。
母はもう父を嫌っていないと言う。未だに嫌っているのは父の方だと。しかし私は違和感を感じた。嫌っていないなら別に言葉にしなくてもいいと思う。それこそ行動ででも。わざわざ言葉にして言うことに、母が母自身を無理やり律しようとする感じを受けた。また、"嫌っているのは父の方だ"というのは、反射で、母が未だに父を嫌っているという意味にも取れた。今までしたことがないのに、父に対するお土産を私に託したのも変だ。違和感がすごい。わからない。母の世代ではこういう行動は改善に向かっている証拠なのだろうか。私にとっては、嫌いなのを子どものために無理やり好きになろうとしているようにしか見えない。別に好きにならなくていいと思う。無関心でいいと思う。今の父が振舞っているように。

勉強は滞りない。と思う。油断は禁物です。
勉強に取り組む時間を決めてしまうことについて考えてみた。例えば「9時から17時までは勉強する」という風に。私のように勉強にあまり乗り気でない人でも、「勉強してもいいかな」って妥協できる瞬間があると思う。その瞬間を狙って勉強すればいいと思う。嫌々やるより効率的だし、頭の回転もエグいほど速いし、楽しく感じる。でもその瞬間はいつくるかわからない。少なくとも私は日ごとに違うから予測できない。だからとりあえず自習室に自分を縛り付けておく。そうすれば瞬間を逃さない。自然に勉強時間も増える。だから勉強時間を決めることは、
・瞬間を逃さないという点と、
・瞬間のリズムを知るという点
で有効である。


おやすみなさい。さようなら今日の私。

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