8/15
どうもkumanutsです。
今日は大乱闘をしてから家に帰り、10時ぐらいまで寝ました。昼過ぎまでyoutubeやcodをしたあと、引きこもってることによる息苦しさを感じてシャワーを浴びて外に出ました。快活クラブというお店に行こうかと思っていましたが、あいにくの満席だそうで、買い物をして帰りました。先日ワカオという漫画の中にコーンバター醤油が出てきて、簡単でただただ美味しいだろうなと思って冷凍のコーンを買ってきて調理しました。①フライパンの上でバターを溶かす。②コーンをフライパンに敷き詰める。③炒める。④醤油をひとまわし。食欲を刺激される香りがしたら完成です。可能で有ればフライパンから直接すくって食べるのが良いでしょう。外が暗くなった20時過ぎ。明日は萌えるゴミの日なので生ゴミの処理をしました。ついでに萌えないゴミもゴミ袋にまとめました。えらい。最近はネトフリで色んなアニメを観ています。今日はSAOの映画版、デビルマン-リミテッドシリーズ-、防振り、を観ました。SAOのはダイジェスト版だったようで懐かしいなぁと思いながらちょっとつまらないなと思いながら観ました。デビルマンはテイストが欧米風のアニメで目新しくてワクワクしました。ですが監督は日本人でした。見慣れている日本のアニメ映像とは違うイラストに最も惹かれた。セリフは少々説明不足のように感じたが、そこがまた味を出しているのかもしれない。防振りは見慣れたストーリー、イラストだった。没入型VRゲームの世界観という点ではSAOに近しいなと感じた。まだ途中までしか観ていない感想ではあるが、SAOほどVR世界と現実世界とのギャップ、現実世界とのつながりを感じさせるようには作っていないのかもしれない。防御を圧倒的に高めたかわいい女の子の話といった感じ。異世界(ゲーム世界)転生という気分で観ても違和感がないように思う。
Twitterのスペースという機能があるのだがそこで話したり聞いたりしている中で、視聴者参加型のテレビ番組の内容を考えていて、ギャルゲーのようなものをテレビ内でやるという案が出てて面白いと思った。視聴者たちの投票によってシナリオが、オチが変わるのだ。......いま多数決が当たり前に資本主義における商売に組み込まれているなと思った......。テレビはyoutubeとの差別化はできるのだろうか?シンデレラストーリーという用語。誰かが苦しんでいる様子をいっぺんたりとも入れたくない。
youtubeで音楽を聴くのだが、私はmvが好きなんだなぁと感じた。音楽よりも映像。さらには字幕の付け方に視線が惹きつけられる。
それから今日8/15は終戦記念日。がっこでやったな。
死んだ人はどこへ向かうのか?あの世へ行くのか、その場に留まるのか、家族のもとへ帰るのか、お墓の上に座っているのか、私たちを見ているのか、意識はあるのか、悪霊になるのか、生まれ変わるのか、罰を受けるのか?
私たちはなぜ墓参りをするのか?現在を生きる私たちの利を優先するのなら精神的なもの意外何もないだろう。一昨日8/14祖父の墓参りに行ってきた。ひと月前にあった一回忌には行かなかった。花を買って、墓をきれいにしてあげて、線香をあげて、それで帰った。祖母は何を思うのだろう。直接の子供である父や叔母さん叔父さんたちは何を思うのだろう?私は何も感慨深く感じなかった。終始「これで作法は合っているだろうか?どこまでやればいいのだろうか?」そんなことばかり考えていた。他に何も思わなかったし、対象のはっきりしない“他人”からの評価を気にしていた。良くないと思った。祖父のお墓参りに、祖父の死に、人の死に向き合えていなかったと思うからだ。墓参りを通じたナマの感覚を感じることが出来なかった。
Swiftというプログラミング言語を勉強中である。
おやすみなさい。さようなら今日の私。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?