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運命のdisり方

どうもkumanutsです。

「アジャストメント」という映画を観ました。

人が"書"に書かれたとおりの運命を辿るように調整しようとする"調整員"に対して、彼らの存在を知ってしまった主人公が、運命に逆らう

というストーリーです。


観ながら混乱しました。

調整することすら、運命どおりになるのではないかと。

運命に逆らうことすら、調整に逆らうことすら、運命どおりなことなのではないかと。


じゃあ別に「運命どおり」とやらにいきてもいいんじゃない?

「運命に逆らう」って意識は、運命どおりに生きていると思うから生まれるのだから。

逆らうという発想がなければ、運命それ自体もない。

ただ受け入れれば?


分かりもしない運命に逆らうなんてバカバカしい。

自分の運命を知る機会があったとしても、絶対知りたくない。

もし運命を決めてるやつが

「kumanutsは運命どおりに生きてるな笑笑」

なんて悪趣味な野郎だったとしても、

(いや女性かもしれないけどね、そもそも性別あるのか知らないけどね)

俺にはカンケーない。

勝手に笑ってればいい。

いつも見てくれてあんがとよ!💢(←なぜかキレ気味笑)


ってさ。


運命はたんなる偶然で、偶然は必然だ。

あんたがそこにいるのは、運命なんだよ。そこにいる必要がある。何か意味がある。なんであんたはそこにいんだ?それを考えろ。

原因じゃなくて、目的を考えるんだ。

過去を振り返っても、そこには過去しかない。

0.1000000秒後(←唐突な有効数字7桁) から何すんのか?ってことを考えるんだよ。


話を戻すと、

「私たち運命の絆で結ばれてるんだね❤️(キャピキャピ)」って思ったら運命なんだよ。

「今回はご縁がなかったということで」って言われたら、残念ながら縁はなかったわけで。


んまあそういうことで👍

運命はない。運命に逆らうなんてない。



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