2020年を表す一文字は「隔」だった
世界中のみんなにとって大変な2020年が終わった。
保育園が閉園になって死にそうな思いをしたことも遠い記憶になりつつある。
ということで、忘れないうちに2020年に感じたことを書いておくことにする。
2020年は世界中でコロナ禍という共通の体験をするという非常にレアな年であったのに、大きな「隔(へだ)たり」を感じた一年だった。
それこそ2月までは、私は月1くらいのペースでイベントやセミナーを開き、毎日たくさんの人たちと会っていた。コロナが流行りだした3月以降、オンライン以外で会った人は全員名前をあげられるくらい限られた人だけだ。
しかし、そんな物理的な隔たりもそうだが、もっと大きかったのは、目に見えない分断の方だ。色々な観点で、人と人とがこんなにも分断され、お互いにお互いを全くわかりあえない状況はかつてあっただろうか。
私が見た、日本における分断の一例をあげてみる。
・東京に住む人/地方に住む人(東京人は突如、地方の人からバイキン扱いされることになる。Go toは当初東京だけ除外。最近は、都心のマンションに移り住む人、地方に移住する人、という全く逆の動きが起こった。)
・コロナなんて怖くない人/コロナを過剰に怖がる人(これは中間が正しいけど、みなどっちかに偏っている)
・家族持ち/一人暮らし(家族の時間が増えて良かった家庭、虐待やDVが増えた家庭。一人の自由時間を満喫した人、一人で鬱になった人。どちらにも幸と不幸はあった。)
・若者/老人(お互いに、お前の責任だ、と指をさしあっていないか)
・在宅勤務の人/在宅勤務ができない人(在宅でも同じように仕事が進められる外資やIT系の人、性質上在宅勤務は無理な人)
・コロナでむしろ儲かった人/コロナで経済的に困窮した人(業界ごとに明暗は分かれた)
・休校で大きなダメージを受けた人/なんの影響もなかった人(共働き世代を直撃。子供がいなければ関係ない話。)
・緊急事態宣言を望む人/緊急事態宣言を望まない人(自分にとってどんな影響があるのかによって意見が分かれるところ。結局みんな自分のことしか考えていない。)
このようなたくさんの隔たりがあり、分断があり、自分と違うクラスタの人への理解や思いやりの欠如がさらに分断を大きくしていた1年だった。
私自身も上にあげた分断のいくつかの片方にいて、もう一方の側にいる人たちの無理解、無関心、時に敵意を感じてとても悲しくなった。あっち側の人たちとはもう分かり合えない、と諦めを感じた。
いくつかの分断について、うちの子供たちにはなるべく丁寧に説明した。こっち側とあっち側があるってことを。共感はできなくても、理解しておく必要はあると思ったから。自分の身を守るためにも。
2021年になってコロナが収まれば、分断は解消されるか?
そうは思わない。今までも分断があったのが、たまたまこういった状況で可視化されただけだから。
アメリカの分断が明らかになった4年前のトランプ当選。2020年の選挙でも、最後まで接戦を繰り広げ、こんなにもアメリカは真っ二つに分かれているんだなあと思ったけれど。
アメリカだけの話じゃなかった、日本だってかなり分断されていたんだ。
2021年は、ますます「個」の時代になっていくだろう。自分が信じるもの、自分の道、それをもっと明らかにしていく1年になるだろうと予想している。