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気持ちか、意思か

ダビデは幼い時から唯一の神を第一として生きてきた。

家族の中では、8人兄弟の末っ子で軽く見られていた人物だったけど、羊飼いという仕事を忠実に行ってきた。

自分の羊が野獣に襲われた時も神に信頼してその羊を救ってきた。

やがてダビデはサウルという王に仕えるようになった。

サウルは神に選ばれた王だから、サウル王に忠実に仕える事は、神に忠実に仕えることだ。

だからダビデは神に仕えるようにサウルにも忠実に仕えた。

でも、忠実に仕えてきたのに、その王から妬まれ、殺されそうになる。

ダビデは逃げて隣国へ逃げた。

隣国は敵国で、ダビデは身分がバレそうになり狂ったふりをして助かった。

そんな中でダビデが歌ったのが詩篇の34篇だ。

詩篇34篇

ダビデによる。ダビデがアビメレクの前で、頭がおかしくなったかのようにふるまい、彼に追われて去ったときに。

1,私はあらゆるときに主をほめたたえる。
私の口にはいつも主への賛美がある。

2,私のたましいは主を誇る。
貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。

3,私とともに主をほめよ。
一つになって御名をあがめよう。

4,私が主を求めると主は答えすべての恐怖から私を救い出してくださった。

5,主を仰ぎ見ると彼らは輝いた。
彼らの顔は辱められることがない。

6,この苦しむ者が呼ぶと主は聞かれすべての苦難から救ってくださった。

7,主の使いは主を恐れる者の周りに陣を張り彼らを助け出される。

8,味わい見つめよ。
主がいつくしみ深い方であることを。
幸いなことよ主に身を避ける人は。

9,主を恐れよ。
主の聖徒たちよ。
主を恐れる者には乏しいことがないからだ。

10,若い獅子も乏しくなり飢える。
しかし主を求める者は良いものに何一つ欠けることがない。

11,来なさい。子たちよ私に聞きなさい。
主を恐れることを教えよう。

12,いのちを喜びとする人はだれか。
幸せを見ようと日数の多いことを愛する人は。

13,あなたの舌に悪口を言わせず唇に欺きを語らせるな。

14,悪を離れて善を行い平和を求めそれを追い続けよ。

15,主の目は正しい人たちの上にあり主の耳は彼らの叫びに傾けられる。

16,主の御顔は悪をなす者どもに敵対し主は彼らの記憶を地から消し去られる。

17,苦しむ者が叫ぶと主は聞かれそのすべての苦難から救い出してくださる。

18,主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ霊の砕かれた者を救われる。

19,正しい人には苦しみが多い。
しかし主はそのすべてから救い出してくださる。

20,主は彼の骨をことごとく守りその一つさえ折られることはない。

21,悪は悪しき者を殺し正しい人を憎む者は責めを負う。

22,主はそのしもべのたましいを贖い出される。
主に身を避ける人はだれも責めを負わない。


ダビデは、(状況がどうであっても)あらゆるときに主を賛美した。

ダビデは、(状況がどうであっても)主がいつくしみ深い方であることを、味わい見つめた。

賛美することは、感情や気分によるものではない。
賛美は、【私は主を賛美する】という強い意思によるものだ。

主のいつくしみは原語はトーブ、日本語では「良い」という意味だ。

主の良さを味わう事も、見つめる事もいい気分だからというわけではなく、「味わう、見つめる」という意思による。

それにしても味わって、見つめるという順序は興味深い。
また今度考えてみよう。

ともかくこの詩篇から教えられた事は、賛美も主の良さを味わい知る事も気分ではなく意思である事。

私が好きな「主がそばにいるから」という曲に、こういうフレーズがある。
それを思い出した。

 ♪苦しい時さえ賛美をする。
  主がそばにいるから。

アーメン。
主よ、感謝します。
主よ、賛美します。どんなときも。
どんな時もあなたがそばにいてくださるから。

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