佐渡にいきなり移住する勇気はない
私の生まれ育った村は(敢えて村といおう)今は子どもの数も多くてアパートもマンションもあってたくさん新しい住民が増えたと言います。
もうそこに実家がないので、実際は小学校の同級生に聞いてるんですけど、
当時はA村だった我が村はA村北・A村南ってわかれるほど人が増えたとか。
私が5歳の時に借家から引越し、親がA村に家を建てました。A村は三世帯が暮らしているお宅がまぁまぁあって、歴史のない我が家は新参者でいわゆるよそ者でした。
子どもながらになんとなーーーーく、面倒くさいシキタリ?村のルール?を感じてました。
さて、そんなところに生まれ育った私が、佐渡に住むというのです。
・・・生まれ育ったのところは村だといっても、佐渡よりは町です。
そんなところでさえ、こんなに面倒くさいのなだから、ましてや佐渡なんて(ごめん)と思うのは仕方ないこと。
しかも離島。「島国根性」という言葉が日本語にあるってことは、まぁそういうこと(覚悟)が必要だよね。と思っていました。
なので、地元の企業に就職するのは躊躇があり・・・村八分になったら半年持たないかもしれない・・・とか。そしたら島内で転職なんてできるんか・・・悪い評判がつきまとうのでは・・・。とか。
今思うと、考えすぎだけど、当時は「生まれ育ったとこよりも田舎にいくんだから、あそこより理不尽なシキタリやルールがあるはずだ」と思ってたんですよ。
そこで見つけたのは「地域おこし協力隊」という制度。
聞いたことありますか?めちゃくちゃ簡単に言うと「最長3年地域のことをやってみて。仕事と家はあります」って制度です。
・・・いや、怒られるわ。適当すぎるからコチラをご覧ください。
佐渡市もそれがあって、私はそれを利用しました。
正直私は佐渡に住んでみたかったので、募集内容のどの業務でもよかったんですが、敢えて言うなら観光のことをしてみたかったので「地域の民泊推進」みたいなのを第一希望地にしたんです。
当時の作文にも確か「任期終了後は佐渡でゲストハウスをしたいです」的なことを書いてました。佐渡の観光事情何もしないから民泊を協力隊業務として経験積めればなって思ってました。私が旅行をした10年前には1,2件しかゲストハウスがなかったんですよ。今はたくさんあるから・・・やらなくてよかった。
ところが、「それなら自分で物件見つければいいじゃない、空き家の調査しながら」っていう一声で、ぶっちゃけ住めるならなんでもよかった私はその提案を受け入れました。それで空き家調査・移住支援の担当になったんです。
大して考えてなかったのに、不思議なもんで・・・今に至る。
10年も佐渡市の移住支援してる人私しかいません。市役所の人は異動するし、方針だって市長変われば変わっちゃうし。
話をタイトルに戻すと、移住の定義をどこに置くか・・・っていうのはひとまず置いておいて、「いきなり移住する勇気」はなかったんですよね。
なので、地域おこし協力隊という最長3年の制度を利用し、お試しで3年住むことにしました。万が一嫌なことがあったり合わないことがあっても3年耐えれば「任期満了」になって、履歴書的には「一身上の都合により退職」よりマシかなって思って協力隊を選びました。
地域おこし協力隊になるのに高い志を持ってる方も当然います。日本の活力は地域から!って。今ならそれは本当に思うんですけど、当時の私は・・・まぁそんな理由で協力隊を選びました。
3年も長期無理ってなれば、佐渡市には移住お試し住宅があります。
これは家だけですけど、今はお仕事もお試しで単発バイトができる取り組みが始まりました。
ちなみに私が3年間利用した佐渡市地域おこし協力隊はインターン制度(1~2週間)があります。窓口は私ですので、いつでもご相談ください。
今は色んな制度が充実してていいですね。10年前の私なら何を利用したかなぁ・・・って考えることありますが、協力隊制度のおかげで色んな人の縁に恵まれて今も仕事があるので、私はお試し移住にはとてもいい制度だと思っています。
今回はなんで協力隊選んだか、という話になりましたが、協力隊時代の空き家だとか移住支援の話はまたまとめたいと思います。
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