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恋におちたかった私のはなし

大学生の頃とてもお世話になった先生がイケメンだった。
イケメンゆえの処世術か、私たち学生の前ではナルシストを演じていた。
飲み会の時、学生の一人がその先生に奥さんとの馴れ初めを聞いた。
すると、先生は

「恋っておちるものだから。気づいたらおちてるから。馴れ初めとかない。」

と、のたまった。
みんな「さっすがイケメン!かっこいい〜」みたいな反応をしていたと思う。
まあ、学生に奥さんとの出会いとか、どこが良かったのかとか話したくなかっただけだろうけれど。
先生の言葉を聞きながら、私は『ハチミツとクローバー』のとある場面を思い出していた。

「人が恋におちる瞬間をはじめてみてしまった まいったな」

第1話の有名なシーンだ。
竹本くんがはぐを見つめる真剣で切ない表情とか、その時窓から明るい光が差し込んでいるところとか、はぐの周りにふわふわと花が漂っているところとか、それを見た第三者である真山にまいったなと思わせるところとか。

もう、とにかく最高なのだ。

これを読んだ当時私は小学生で、当然そんな経験もなく「恋ってこんな感じで始まるのか。」と、猛烈にときめいた。

それから月日は流れ、高校や大学で、かっこいい人や、頭がよく優秀な人、面白い人、優しい人などいろいろな人と出会った。
眼福だなとか、こんな人と結婚できたら玉の輿だなとか、楽しいなとは思うが、「恋におちる」とはなんぞやと感じていた。
そういうわけで、大学生になっても、恋におちるどころか片思いも両思いも経験したことがなかった。
(当時付き合っていた彼氏も、「面白くて気が合う友人」くらいの認識だった。)
わからないからこそ、現実の世界でそういうことがあるのかと、妙に考えさせられたのだ。

大学を卒業し、社会人になってもわからないままだった。
そして面白彼氏ともいろいろあって別れた。
その後、しばらくしてあの人と出会うことになる。(私の話に何度も繰り返し出てくる例のあの人だ。)
出会って即、一目惚れということではなく、最初は話が合うし一緒にいて楽しい人という印象だった。

3回目のデートで海に行った時のことだ。
その日は、信じられないくらい空が綺麗に晴れていた。
海は太陽の光を受けてキラキラと輝いていた。
私たちは隣に並んで海を眺めながら、一緒に見た映画の話をしていた。
ふと横を向いた。
眩しそうに海を見つめる彼の横顔を眺めていると、突然

「この人のことが好きだなぁ。」

と思った。
本当に、ごく自然に、すとんと自分の心の中に降ってきた。
あまりにもはっきりとした感情で、驚いた。
これが「恋におちる瞬間」か、と。
想像していた以上だった。
もっとずっとすてきで、世界が輝いて見えるような幸せな感覚だった。
この人が今までどうやって生きてきたか、何が好きで何が嫌いなのか、これからどのような人生を歩むのか、もっと知りたいと思った。

その後、私たちは晴れて付き合うことになる。
本当に幸せな時間だった。
でも、ご存知の通り、関係は突然終わりを迎えた。



2、3日は訳がわからなくて、泣いて過ごした。
でも、いつまでも落ち込んではいられないから、と無理やり自分を奮い立たせ、いろいろな人とデートした。

そんな生活を続け3ヶ月経ったある日、心が折れた。
ふとした瞬間に涙が溢れて止まらなくなった。
もう限界だと思ったので、仕事以外は何もしないでゆっくり休むことにした。
そうしていると、薄紙を剥がすように徐々に気持ちが落ち着いていった。

それからまた少しずつ、人に会ってみることにした。

あの時のような恋におちる感覚はなくても、いいなと思える人もいて、
「条件はいいし、性格も悪くないし、顔も嫌じゃないんだから、この人のことを好きだって思い込めばいいんじゃない?」
と私の中の悪魔が囁くこともあったが、結局はうまくいかなかった。

どうやら、私の人生は恋におちない方向に再度、方針転換したようだ。
元の生活に戻っただけだと言われれば、それまでだ。
あんなふうに、自分で制御できないような訳のわからない感情に振り回されなくなって良かったとも思う。

でも、思い返してみると、あまりにも鮮烈で幸せな感覚だった。
その記憶は、あの日見た海と共に、これからも私の心の中で輝き続けるのだろう。

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くまのおすし
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