気付かぬ快楽
お久ぶりです。お久しぶりすぎて年が明けておりました。年末年始にかけては5日間ほど知り合いの手伝いをしており、仕事場と自宅の行き来で特に年越しっぽいことはやってませんね。正月休みは長いので5日間くらい大丈夫だろうと思っていましたが、バイト終わってから3日間寝込んでましたので合計8日間は休みを満喫していないということが起きてしまいました。去年の正月休みもウィルスで1週間寝込んでたし。もうね考え方変えますわ。アラフォーにもなりましたし連休の初日と2日目は寝ることにしよう。連休前夜はぱーっと遊ぼうなんてもってのほか、まずは体調を確認してから行動に移す。散歩前の犬のごとしピョンピョン状態で連休に臨まない、理性をもって上手を取って連休を制すのだ。これはいったい何の宣言なのだ?
そんなこんなで知り合いの誰とも繋がっていないnote。ここでたまたま目にかけて頂いた方々、今年もよろしくお願いいたします。
連休と言うことはもちろん仕事をしている。仕事の愚痴は散々ここに書いてきた。連休の1週間以上前から犬になり仕事の疲労を感じなくなり連休中に体調を崩すのはもう辞めようと先ほど宣言した。この犬状態は連休やボーナス以外でももちろん起きている。そもそもこの疲労を感じさせないほどの連休前の興奮状態、本来疲れは一番溜まっている時期なのに自分は自分を何故そうさせる。
記憶が曖昧なので正確な情報では無いのだが、何年か前に動画で脳が作り出す快楽トップ5という動画を見た。その一度しかその動画を見ていないので題名も覚えていない。ランキングは
5位 ランニング
4位 二度寝
3位 ギャンブル
2位 セックス
1位は後程言いますか。
まずは5位のランニング。これはもちろんマラソンに限らない山登りやロードレース(自転車)、過度の筋力トレーニング、肉体労働など体を動かすこと全般に起きることだと思われる。わかりやすい例でランニングに絞っているのだと。何が一番の原因かというとエンドルフィンというホルモンが分泌されているからだ。エンドルフィンは動き始めよりかは後半に現れる。疲労が蓄積されもう動けないのにテンションが上がって動ける状態はもうエンドルフィンゾーン展開、自分の体に鞭を打つ根性論では無い何が何だかわからないけどなんか楽しい状態。限界を突破した報酬に出るのがエンドルフィン。納得だ、何故ならば僕はランニングを一切しない。日に焼けてぜい肉が全く無くやつれている、そして膝など体のどこかが故障していて、もう綺麗なフォームとは言えない境地で走っている方を河川敷などよく見かけるが理解が出来なかった。しかし、快楽の境地に入っているのであれば納得できる。
4位の二度寝。これも二度寝だけではなく、寝落ちや昼寝も入れて広い意味でとらえても良いだろう。この二度寝の快楽は多くの人にわかるだろう。二度寝には遅刻という大トラブルが潜んでいる。目覚ましに気づかなかったと皆言うがそれはあくまでも比喩。目覚ましを止めた記憶を無くすと言うのも手遅れの認識だ。実際は起きる前から二度寝の快楽にもう洗脳されているのだ。起きる為の目覚まし停止では無い、二度寝をするための目覚ましなのだ。恐ろしい。まあ、早く寝れば良いだけのことだが。
3位は言わずもがなですな。依存症になるくらいなので。授業が退屈な人でも、順番を守れない人であろうとパチンコ台の前におとなしく座っている状態は集中力のドーパミンがドパドパだからだ。負けるかもしれないと言う不安感も超えて掴みたい勝利にノルアドレナリンも加わって、喜怒哀楽の脳内劇場が沸く。
2位は誰でも思いつきそうな選択肢。2位ということが驚きなくらい。幸せホルモンで有名なオキシトシン、セロトニンは愛情やスキンシップから放出。絶頂に達するまでのドーパミン、これに不倫などの怖いもの見たさが加わるとノルアドレナリンも放出され我を忘れるまでのエクスタシーに突入する。
このランキングについてもっともっと掘り下げたいが今回は仕事や日常生活におけることに絞ってこのランキングと照らし合わせていこうと思う。しかし仕事と快楽がまず結び付きずらいであろう。そもそも多くの人が仕事に快楽のイメージは無く、行きたくないやりたくないというマイナスイメージが強いからだ。なので連休や予期せぬ休暇や早上がりに喜びを感じるしそこに興奮の照準を合わせ時間をやり過ごす。マイナスイメージが多いのに仕事というもは何故成り立っているのだろう。それはマイナス面に快楽が潜んでいるからだ。常識や社会性と言う言葉に身を包み快楽が進行しているのだ。
それは『癇癪』だ。自分の思い通りにならなく怒ることが癇癪だが、なぜそれが快楽に結びつくのか。非効率であろうと押し切ろうとする自分の意見あるから後に癇癪と言う行動になってしまう。わがままとも言える。人間関係が悪くなろうと作業効率が悪くても押し通したい意見の報酬は癇癪を起した人にしか無い、実際に結果は伴ってないから自己満足でしかない。
これが分かったのは僕自身が20代に目標としてた「人材育成能力の習得」から見出した。なぜこのような目標を立てかは、企業する為の信頼や売り上げの後ろ盾がない20代をどのように過ごすか考えたからである。20代の仕事のほとんどが新人教育である、社会人2年目、アルバイトなら新人が入ればすぐにこの業務は発生する。役職が与えられれば次にその役職を引き継いでもらう人材にその業務を教える。最初は上手くいかなった。同じ部署内ならまだいいけど他部署と突発的にこなす仕事は本当に腹がたった。そう自分も元々は癇癪を起す側の人だったから。当時そのことを先輩に相談してもらえたアドバイスは「養護施設だと思って」。結構過激な発言に思えるけど、諦めが肝心だと言うことを言いたいのは伝わったので、言い方はすぐにどうでもよくなりました。労働の内容に美学を置くとこのような事が起きる。完成形の理想が高ければ高いほど。全て理想の人材を採用できるかと言うとそれは全く無く、得意分野など能力は人それぞれ。どこかで中間意見を決めないとキリが無い。さらに当時の職場は人手が少ない状況だった為より良い効率は、質が落ちても業務は成立するのでそれで乗り越えるしかないとその時気付いた。そして、能力が低い人でも雇って商売を成立できるこの会社は凄いと思ったと同時に自分の日常もそうであると気付いた。外食はチェーン店でも食べるし、高級な服を着てる訳でもないから。新人教育をして分かったことがもう一つ、辞める人は辞める。どんなに優しく仕事を教えても翌年に全員残ってる事は無いし、それが当たり前になった。諦めがあることで怒りながら教育することも無くなったし相手の行動も分析できこちらも能力を取得したり聞き出す事が出来る余裕が出た。メリットの方が多い。
では効率の悪い人材育成theカンシャクを人は何故やり続けるのか。ここで快楽の話に戻る。自分の仕事を邪魔されたくない、これは集中力の高い人にある考え方。一つの事に没頭することが快楽であるとこうなりますよね。完成形に納得がいかないのもこれに当たりますよね。その他、凄いと思われたい怖いと思われたいなどいろいろな承認欲求、ミスを荒探しし上下関係を示したい立場作り。どれもさほど売り上げに関係ない話なんですね。真剣にやること情熱を持つことは大事、でもそれは何のために?と言うと売り上げ為なのは間違いない。しかし売り上げの為に怒鳴ったりいじめたりするのは無駄な労力。
なぜ人はそこまで自我を出せるのか、それは相手に甘えているからなのです。
共感できる怒りとは違う、感情の爆発(癇癪)を起こす人に憧れなんて生まれません。我を忘れて癇癪を起す、まるで性犯罪のようだ。となると快楽ですね、依存症ですね。
今回の事は前から思っていたのですが、YouTubeで中野信子さんが「それは甘えなんですよね~」と言っていたのですぐ書くことにしました。中野信子さんが語っている動画や、出版している本も読んでいこうと思いました。
では癇癪のない社会はあるのか。完璧ではないけどあると思います。僕の経験上エクストリームスポーツ(スケートボード、スキー、サーフィン、オートバイ、ロッククライミング等々)をしてる人達ばかりいる環境ですね。集中していないと命の危険がある、体力の限界、恐怖に打ち勝つ精神、そしてそこから味わう達成感。自然、仲間と過ごす時間。これらを常に経験している人は十分脳汁使い切ってるので日常ではおおらかで余裕があるように、まるで悟りを開いてるように感じます。そうなんですよね、仕事で犬になるより趣味で犬になるほうがよっぽど犬らしいんですね。いえ、人です。
ちなみに脳が作り出す快楽トップ5の第一位は
死ぬ瞬間
だそうです。死ぬ瞬間はエンドルフィンもドーパミンもアドレナリンも全て全力大放出だそうです。それはさぞかし気持ち良いでしょうね。人と言う動物に刷り込まれている行動に集団というのがあります。原始人の時からグループで行動していたので。なので集団に起こる虐めや立場作りはここから始まっていてのです。数えきれないウィルスに打ち勝ってきた人間の長ーい歴史、遺伝子の数十%は過去の経験してきたウィルスだそうです(10%なのか90%なのか分からない所がまた良い)。人類が知らず知らずのうちに習慣ついたこと。しかしながら死ぬ瞬間ばかりは記憶に残らない、死んでしまいますからね。この死ぬ瞬間快楽物質祭りの快楽はウィルスのように人間のどこかに記憶されて受け継がれて、日常生活の最中憧れたり思い出したりしている無意識の感情や行動があったら面白いですね。死にたくないという感情が死ぬ瞬間快楽物質祭りから遠ざけようとしてた言動だったら面白いですね。
痛いよー、苦しいよー、もう駄目だ死ぬーーってあれーーー急に気持ちいいーープツンっ!