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愛なんか、知らない。 第7章⑬にせものの家

 どういうこと? どういうこと?
 私、圭さんに「夜の音楽室」を見せたっけ?
 ううん、一度も見せてない。写真だって、バイオリンとか、楽器ができた時は送ったけど、それだって数枚だ。
 じゃあ、圭さんはどうやって。

 まさか。まさか。
 あの日、あの夜。
 私、あの日、圭さんにスケッチブックを見せた。圭さんに抱かれた、あの夜。

「葵ちゃん、圭君のこと、やっぱり誰も分からないみたいで」
 純子さんが戻って来て、私の様子を見て異変に気付く。
「どうしたの?」
 私は何も答えられない。体が震えてる。
 純子さんも圭さんの作品を見て、息をのむ。
「え、これって……」
 純子さんたちにも、心にも「夜の音楽室」は見せていた。

 あの夜、圭さんは。私が眠っている間に、スケッチブックを、私のスケッチブックを……? まさか、そんな。

「会場にお集まりの皆さん、お待たせいたしました。これから、審査結果を発表いたします」
 会場の端につくられていたステージに、司会者が立って呼びかけた。
「葵ちゃん、大丈夫?」
 純子さんは私の腕をつかむ。
「とにかく、圭君に話を聞いたほうがいいわよね?」
 私は小さくうなづく。
「圭君、どこかしら。ちょっとここで待ってて。探して来るから」
 会場の外に出ていた人も、続々とステージの周りに集まる。

「えー、まずは5位の発表からです」
 私は作品から目を離せずにいた。
 なんで。なんで。どうして、圭さん。どうして、こんなことを。あの夜のことは何だったの? 私のことを、圭さん。
 いつから? いつから、私を騙そうって思ってた?
 あの後、会いに行った時、圭さんは私を部屋に入れなかった。もしかして、あの時、この作品を作ってたの……?
 電話に出なかったのも。アカウントを消したのも。黙ってこの作品を発表するため?

 ふと、視線を感じた。
 振り向くと、ステージの正面に佐倉さんがいる。佐倉さんは私と目が合うと、すぐに目をそらせた。
 そうだ、佐倉さんに相談してみよう。佐倉さんなら、圭さんを問い詰めてくれるかも。
 佐倉さんのところに行こうとした時。

「第5回目の日本クリエイター展の大賞は、望月圭さんの『夜の音楽室』です!」
 わあっと会場が沸き立つ。圭さんが袖から姿を現して、ステージの上に立つ。
 昔の圭さんのように、カッコいい圭さん。髪はきれいにパーマがかかっていて、顔もさっぱりしていて。ジャケットにジーパン姿の、センスのいい圭さん。
 腕をつかまれて振り返ると、純子さんが立っていた。私はたぶん、死にそうな顔をしてる。純子さんは何も言わずに、肩を抱いてくれる。

「えー、まさか、大賞をいただけるとは思ってなかったので、とってもとっても光栄です。今までの僕はトルソーを必ず作品に入れてたんですが、今回はトルソーから離れてみました。僕の新境地の作品で、こんなに評価していただいて……」
 盾を受け取って、圭さんは顔を紅潮させてスピーチを始める。

「僕がやらかしたことは、皆さんもご存じだと思います。あのころの僕はわがままで、完全にいい気になってて、多くの人に迷惑をかけました。『しくじり先生』から、そろそろオファーが来るんじゃないかなって思ってて」
 そこで、会場で軽く笑いが起きる。
 息が。苦しい。鼓動が激しすぎて。
 圭さん、どうして笑っていられるの?

「あの出来事があって、あっという間に仕事がなくなって、自分の実力なんてこんなもんなんだって、思い知って。もちろん、全部全部、自分が悪いんだけど。何度も絶望して、死のうって思ったこともあります。でも、でも」
 そこで言葉を切る。ちょっと涙ぐんでるみたい。

「子供が生まれて、支えてくれる家族ができたから、僕はまたミニチュアを作ろうって思いました」

 え。何。何て言った?
 私は思わず、佐倉さんを見た。
 佐倉さんはたぶん、私の視線に気づいてる。でも、圭さんの姿から目を離さない。
 まさか。まさか。
 ウソでしょ? 佐倉さんが、圭さんの……?
 さっき、佐倉さん、この場所で私と話していた時。すごく動揺していた。それって、まさか。
 知ってて……。佐倉さん、すべてを、知ってて……?

「3年ぶりにちゃんと作った作品で大賞を取れて、僕はようやく息子の翔に誇れる気がします。翔、パパだよ~、見てる?」
 圭さんは、佐倉さんが抱えている赤ちゃんに向かって無邪気に手を振った。
 左手の薬指には、指輪が光ってる。

 私はたまらず背を向けた。
 ダメだ。これ以上、見てられない。息が。息がまともにできない。
 ふらつく足で歩きだす。
「葵ちゃん、大丈夫?」
 純子さんがついてきてくれる。

 これ、夢かな。夢の中で起きてることかな。夢なら、醒めて。お願い、早く目覚めさせて。こんな悪い夢。もう見たくないよ。

 圭さんのスピーチは続き、拍手が何度も起きる。
 私、ちゃんと歩いてる? なんか、ちゃんと歩いてないみたいで。体がフワフワする。
 ようやく、エレベーターホールにたどりついて。震える指でボタンを押して。

 傷ついてる? 私。
 ううん、傷ついてない。
 傷ついてない。
 傷ついてなんか、ない。
 それなのに、どうして。
 どうして、こんなに、胸が苦しいんだろ。

 あれ。なんか、床が歪んで見える……。
 私は立っていられなくなって、その場に崩れ落ちた。
「葵ちゃん、葵ちゃんっ、しっかりして!」
 苦しい。助けて。苦しい。助けて。苦しい。助けて。
 純子さんはスマホを取り出すと、「あなた、葵ちゃんが大変で。今すぐ迎えに来て! あと、心ちゃんにも連絡して!」と叫んでいる。

 床に水がこぼれている。
 それが自分の目から零れ落ちる涙だと気づいて。
 自分でも聞いたことのない、悲鳴のような泣き声がホールに響く。
 心、助けて。苦しいよ。苦しいよ。
 私、バカなことをした。バカなことをしちゃったよ。

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