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愛なんか、知らない。 最終章⑥にぎやかな8月
お父さんがバッグに荷物を詰めていると、「パパ、これ見て」とリンちゃんは純子さんのミニチュアのところに引っ張っていった。
「うお~、すごい、細かいなあ。これは、この食堂をミニチュアにしてるのかな?」
目黒さんは子供たちに料理を出しているので、私が「そ、そうなんです。このミニチュアを作ったのは、私の恩師なんです」と応じた。
「そうですか。いや、すっごいリアルですね。この椅子が乱れてるところとか、人がさっきまでいたみたいでリアルだなあ」
「! そうなんです、そうなんですよ! 純子さんのミニチュアは、人がいなくても人の気配を感じさせるミニチュアで、すごいんです!」
私が思わず身を乗り出すと、お父さんはちょっと目を見張った。
「そうですか。ミニチュアの達人なんですねえ」
「パパ」
リンちゃんが、お父さんのスラックスを引っ張る。
「何?」
お父さんがかがんで顔を近づけると、リンちゃんが何やら囁いている。
「先生もこういうミニチュアを作れますかって」
「あ、ハイ、作れます」
「そうですか」
リンちゃんが、また服を引っ張って何かを囁いている。
「リンが、自分にも作れますかって言ってるんですけど、子供にはさすがに難しいですかね」
なんか、このお父さん、いい人……! 絶対にいい人だよ!
「あ、こういう家を作ってみたいの?」
リンちゃんはコクンとする。
「そっかあ。リンちゃんも作れると思います。時間はかかるけど」
「先生に教えてほしいって言ってます」
「えっ、わた、私に!?」
「あら、いいじゃない。葵さんのミニチュアも、素晴らしいのよ。南沢愛っていうベストセラー作家さんの表紙の作品は、葵さんが作ってるのよね。影の使い方が上手なの。葵さんの作品は、ギュッと胸が締めつけられるような切なさとか、懐かしさとか、いろんな琴線が刺激されるのよね。ネットで調べてみたら、作品が見られるから、ぜひ見てみて」
代わりに目黒さんが熱弁してくれた。
そんなに詳しいこと話してないのに、いつの間に私の作品を調べてくれたんだろ? あ、純子さんが教えたのかもしれない。
「へえ、そんなすごい先生にリンは教わってるんですか」
「いえ、そんな、そんな」
「この見本の弁当を見ただけですごいのは分かりますよ。本物そっくりですよねえ。世の中には、こういう才能のある方もいるんだなあって初めて知りました」
お父さんは、棚に置いてあったお弁当の見本をしげしげと見つめる。
リンちゃんは、またお父さんを引っ張って、何かを囁いた。
「ここで教えてもらえますかって」
「う、うーん、ここではちょっと無理かな。目黒さんのお家だし」
「それじゃ、どこで習えますかって」
「え、ええと、自宅で教室を開いてますけど、埼玉ですよ? それも、熊谷って群馬に近いところなので、遠いですよ」
「ああ、高崎線ですね。僕も、昔、あの沿線に住んでいたことがあって。そうですか。もし教えていただくとしたら、月に何回通えばいいんですかね?」
「えっ、ええと、ええと、そうですね。大人向けの教室は月に1回です。でも、そこに混じってやっていただくのは、ちょっと難しいかな……。だから、やるのならリンちゃんだけってことになるかも」
いつの間にか、教室で教えるって前提になってるけど。
「そうですか。それじゃ、月に1回か2回ぐらい、土曜か日曜にそちらに伺うのはどうでしょう。僕が連れて行きます」
リンちゃんがパアッと顔を輝かせる。
お父さん、やっぱいい人だよ~。娘のために休みを教室に費やすなんて。しかも、熊谷まで来るんだよ? リンちゃんのこと、すっごく大切にしてるんだな。娘さんのためにそこまでするのなら、私もできるだけのことをしてあげたい。
自分のお父さんを思い浮かべる。
お父さんが、私のことを優先してくれたことって、あったっけ。なかった気がする……。
月謝とか、時間とかを決めるため、LOINのアドレスを交換した。
やりとりしながら、名前は塚田大輔さんだって知った。リンちゃんは「鈴」って書いてリンって読むんだって、かわいい。
「今日は、お父さんもご飯を食べていくの?」
目黒さんが声をかけると、「あ、今日は早く終わったんで、このまま帰ります」とお父さんは答えた。
二人は寄り添って、楽しそうにおしゃべりしながら帰って行った。人見知りでも、お父さんには心を開いてる鈴ちゃん。かわいいなあ。
二人を見送った後で、「鈴ちゃんは、いつもお父さんが来るまでご飯を食べないで待ってるの」と、目黒さんが教えてくれた。
「塚田さんは離婚していて、今は鈴ちゃんと一緒に実家で暮らしてるんですって。ただ、実家のご両親も共働きだから、大人たちが忙しい時はここに来るのね」
「へえ、そうなんですか」
最初に聞いていたけど、ホントにいろんな境遇の人が来る場所なんだなあ。でも、あんないい人そうなのに、なんで離婚したんだろ。
夏休みのワークショップは4回で何とか終了した。
回を追うごとに希望者が増えていって、さすがに目黒さんも「夏休みはここまで。ミニチュアを作りたい人は、次は冬休みにね」って区切ったぐらい。
……って、私に何も聞かずに冬休みもやるってことになっちゃってるし。
まあ、楽しかったから、やるけど。何なら、春休みも、ゴールデンウィークもやるけど。
その勢いのまま久しぶりに老人ホームに連絡したら、「ワークショップを再開していただけるんですか? 入居者さんたちから、もうやらないのかってずっと言われてて。みなさん、喜びますよ」と歓迎してもらえた。ホ。
1年半止まっていた時計が、ようやく動きはじめた感じ。