愛なんか、知らない。 最終章⑪幸せな一夜
塚田さんとディナーする日は、優の言葉を信じて青いワンピースを着て行くことにした。白いカーディガンを合わせて、ネックレスやバッグを変えて。
待ち合わせの10分前に駅に着いたら、既に塚田さんの姿があった。
えっ、早っ。
「こ、こ、こんばんは」
声をかけると、塚田さんはスマホから顔を上げた。
「あー、こんばんは!」
「おお待た、お待たせしましました」
緊張のあまり、どもりが全開になってるよ……。
「あ、いえ、僕が早く着きすぎちゃって。今日は仕事が早く終わって」
「そ、そう、そうなんですか」
「あ、店はこっちです」
塚田さんは先に立って、スタスタと歩いていく。私は慌てて小走りで追いかけた。
えーと、こういう時って、世間話をするのがいいんだろうけど、何を話せばいいんだろう……鈴ちゃんは元気ですか……って、先週会ったばっかだし。ええと。ここまでどうやって来ましたか、とか? 電車で、の一言で終わっちゃいそうだし、都内の路線とか詳しくないから、聞いても分からないし……。
ってか、塚田さん、足早すぎっ。
「あ、あ、あのっ」
5分ほど歩いて、私は塚田さんの背中に呼びかける。
「ちょっと、早すぎるっていうか……」
私はすでに息切れしていた。日ごろの運動不足がたたってるなあ。。。
「あ、すみませんっ、気づかなくてっ」
塚田さんは頭を下げた。
「店が結構分かりづらい場所にあるみたいで……そっちに気を取られてて、すみませんでした」
「い、いえ。私の足が遅くて」
「オレ、すぐに目の前のことで頭一杯になっちゃうんで……鈴からもよく、怒られて」
あ、今、「オレ」って言った。なんか、すごく新鮮。
塚田さんは歩くペースを落として、並んで歩く。ドキドキ。
会話。何か、会話。えーと。
「まままだ、暑いですよね」
「そうですね。もう10月なのに」
「ですよね」
3秒で終わっちゃったよ!!!
もっと話を膨らませなよ! ワークショップで鍛えられたコミュ力はどこ行った? えーと、えーと。
「鈴も、今日は来たがってたんです。でも、今日はうちの親に預けて来て。後藤さんと会うんだって言ったら、ずるいって責められて。鈴は、ホントに後藤さんのことが大好きみたいで」
塚田さんがしゃべり始めた。ほっ。
「そ、そんな風に言ってもらえて嬉しいです」
「いえいえ……あ、ここだ」
塚田さんはホッとした表情になった。
住宅街の中の一軒家をレストランに改造してあるお店。
「同僚から、ここのレストランがいいって強く勧められて」
「そ、そうなんですね」
夫婦二人でやっているそのお店は、とてもいい雰囲気なのがすぐに分かった。
給仕をする奥さんは笑顔で出迎えてくれて、メニューも丁寧に説明してくれる。オープンキッチンの中で、旦那さんも飛びきりの笑顔で「いらっしゃいませ」と挨拶した。それだけで心が和んだ。
「こども食堂とは別に、僕ら親子だけ教えてもらって、一度ちゃんとお礼をしたいなって思ってたんです」
あ、なーんだ、そういう理由だったんだ。まあ、壺を売りつけられないなら、よかったよね、うん。
食事は、前菜の盛り合わせからデザートまで、心を込めて作っているのが分かるメニューだった。ピスタチオのパスタなんて初めて食べた。心に教えたら、喜んで作りそう。
鈴ちゃんの普段の話だったり、塚田さんの仕事や私のワークショップの話だったり、緊張しながらも、何とか会話は続いた。時々、お店の奥さんが話しかけてくれて、場が持ったってこともあるんだけど。
塚田さんは自動車部品の組み立てや加工をする工場で働いてるって、初めて知った。
「僕も工場のリーダー的なことを任されてるんですけど、人に教えるって難しいですよね。後藤さんは教えるのが上手だなって、いつも思ってて」
「いえいえいえいえいえ、私、下手ですよ!? うまく伝えられないことばっかだし」
「それでも、僕と鈴に教えてくれる時は、分かりやすいですよ」
「そそそうですか? ありがとうございます」
「鈴が、家でもずっとミニチュアの話をしてて。あの団地の庭で遊んだとか、ベランダで水遊びをしたとか、いろんなことを思い出してるみたいで。ミニチュアって不思議ですね。僕も作りながら、鈴を初めて家に向かえた時のこととか、椅子から転がり落ちて焦ったこととか、忘れてたことを思い出して、懐かしいなあって」
「そうですね。ミニチュアを作ってると、皆さん、いろんな昔話をしたくなるって、よく聞きます」
「そうなんですよねえ。分かります、分かります」
帰る時、オーナーさん夫婦は玄関の外に出て見送ってくれた。料理を作ってお客さんに食べてもらうのが生きがいって感じの、ホントに気持ちいいお店。
「このお店、いいですね。料理もおいしいし、オーナーさんたちの雰囲気も温かくていいし。また来たいな」
何気なく感想を言ったら、「そうですよね。また来ましょう」と塚田さんは言った。
えっ。また来ましょうって、「また」があるってこと?
どう受け止めたらいいのか分からなくて、しばらく無言で歩いていたら、急に塚田さんが立ち止まった。
「あの、突然、こんなことを言うのも何なんだけど」
頭をかいて、話しづらそうな雰囲気。えっ、もしかして。
「よかったら、時々、こうやって二人で会いませんか? あ、もちろん、鈴も一緒に遊びに行ったりもしたいんだけど、教室も続けたいんだけど、それとは別に、時間がある時に……なんて、こんなおじさんに誘われても困っちゃうかもしれないけれど」
「お、おじさんなんて、そんな」
「いや、僕、32歳だし。葵さんから見たらおじさんでしょ」
確かに、8歳上だけど。全然、年齢差なんて感じないし。
「迷惑だったら、すみません。考えてくれるとうれ」
「会いたいです」
「えっ」
「わた、私も、二人で、会いたいです」
言った。言っちゃった。
心は言った。「いい人が現れたら、その人とちゃんと向き合ってほしい」って。
ちゃんと、向き合おう。今度こそ。
塚田さんは目を丸くした後、クシャっとした笑顔になった。
「ホントに? いやあ、よかった! 勇気を出して言ってみてよかった!」
その無邪気な笑顔を見て、思った。
私、この人が好きだ、って。
とたんに切ない想いがあふれて、胸がキュッと苦しくなった。
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「そこから急に壺を出して売ってくることはなかったよ」
「葵、警戒しすぎだってば……」
「でも、よかった。二人で会いたいって言えてよかった」
「よく勇気出せたね。葵、エライ!」
電話の向こうで、心は嬉しそうだ。駅から家までの帰り道で、心にさっそく報告したんだ。
「実はね、僕も報告があって」
心は一拍置いた。
「僕、彼女ができるかも」
「えっ。彼女? ホントに? え? そんな話、聞いてたっけ?」
「ううん、言ってない。うちによく買いに来るお客さんで、話すうちに親しくなって、食のイベントに誘われて一緒に行ったりして、プライベートでも会うようになって。友達としてかなって思ってたら、この間、向こうから告られた」
「そうなの!? そんな人がいるなんて、教えてよお」
「ごめん、なんか言いづらくて。葵はその塚田さんって人のことで盛り上がってたし」
「う、うん、まあ、そうなんだけど……それで、その人とつきあうの?」
「うーん、ホント言うと、好きかどうかは分からないんだ。でも、一緒にいると楽しいし、告られて嬉しかったし。つきあってみようかなって思ってて」
「そうなんだ、おめでとう! 心に彼女ができるなんて、嬉しい。今度、紹介してね」
「うん。向こうも葵に会いたがってるし」
でも、彼女ができたら、その人と過ごす時間が増えるんだろうな。こっちに帰ってくることは減ってくんだろうな……。
それは寂しいけど、心には心の人生がある。私たちの道は、そうやって自然と分かれたり一緒になったりするものなんだろう。
ちょっと寂しい気持ちになっていた時、玄関に入ったところで、お母さんとバッタリ会った。たぶん、今日は夜間のシフトなんだろう。24時間営業のフィットネスクラブだから。
お母さんはバッチリメイクを決めてて、なぜか体のラインがクッキリ出ている袖なしのニットにタイトスカートを履いている。受付の仕事なのに、ずいぶん派手な気がする……。向こうで制服に着替えるのかもしれないけど。
久しぶりにマトモな仕事をして、刺激になってるのかな。
お母さんは、それこそ頭のてっぺんからつま先まで、私のことをジロジロと見た。
「……ただいま」
テンションが一気に下がっちゃって、目を合わせないように家に上がる。
「なあに、そのカッコ。もしかして、デート?」
「えっ」
驚いて振り返ると、お母さんは腕組みをして睨んでいる。
「相手は、あの子連れの父親?」
「えっ、なんで、なんで」
「それぐらい、分かるわよ。あんたのまわりの男の影なんて、あの人ぐらいしかいないでしょ」
ぐぬ。す、鋭いな。
「子連れの男なんて、やめときなさい。あんた、あの子の母親になる覚悟はあるの?」
「え?」
「子連れの男とつきあうってことは、そういうことでしょ? 血がつながってない子供の親になるって、そんなに簡単なことじゃないってことぐらい、あんたも分かってるんじゃない? 世の中にはいくらでも男はいるんだから、独身で自分の年齢に近い人を探せばいいじゃない。それとも、ミニチュアの世界では出会いはないの?」
お母さんの言葉を聞きながら、心がドンドン冷えていくのを感じた。
久しぶりにまともに会話を交わせたと思ったら、いきなり私の恋愛を否定?
「そ、そんな、大変だってことぐらい分かってるよ。だって、うちなんて血はつながってても、いきなり家を出て行っちゃって、何年も音信不通の親がいるもん。血がつながっていても仲がいいわけじゃないし、平気で娘のことを見捨てる親がいるぐらいだもんね」
お母さんは明らかにムッとした。
「私だって、実の娘を全然、愛せなかったんだから。だから、親子になるのは簡単じゃないって言ってんの! 血がつながってても親子としてやってけないぐらいなんだから、血がつながっていなかったら、子供として愛せるわけないでしょって話」
「そんなの分かんないよ。少なくとも、お母さんよりはまともに愛せると思う」
自分でも驚くぐらいに、冷静に反論できた。
お母さんは「ふんっ」と吐き捨てると、ドアを勢いよく閉めて去って行った。
せっかく、幸せな気持ちでいっぱいだったのに、一瞬で台無しになった。
そういう人だ、お母さんは。昔からそうだった。
涙がジワッと浮かぶ。悔しい。悔しい。
こんなことで泣くなんて、イヤだ。忘れよう。楽しいことだけ覚えておこう。
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