愛なんか、知らない。 第3章 ⑤トルソーに愛をこめて
トルソーの本体は布を小さな型紙に沿って裁断して、縫い合わせて立体にしていく。家から持ってきた針でチクチクと縫う。
こういう布のミニチュアを作るのも、楽しいな♪
タバコ屋の椅子に、おばあさんが使ってた膝掛けがかかってる写真があったな。膝掛けも作ろうかな。
「ねえ、みんなはワークショップ何回目?」
目の前のおばさんがみんなに話しかける。
「私は今日で12回目」
「えっ、12回もよく取れましたね」
「うん、3年前からファンだったから。初期の頃は、毎回参加してたからね」
「え~、いいなあ」
「私は今回が初めて」
「私も。1年待ちました」
「私も今回は1年ぶり。前は3人しかいない時もあったのに、今は秒で定員が埋まっちゃうでしょ?」
「3人だけなんて、ほぼマンツーマンですよね。羨ましいなあ」
みんなでおしゃべりしているのを横目に、私は黙々と針を動かした。
たぶん、ミニチュアを作るのが好きなんじゃなく、望月さんと会いたくて参加してる人が大半な気がする。せっかく教えてもらえるチャンスなのに。もったいないな。
「うん、葵ちゃん、いいね。縫い目がキレイ」
またもや望月さんが顔を寄せて覗き込む。とたんに、全女性がピリッとするのが分かった。私は今、全女性の敵になってるよ……。
「うまく立体ができてるね。ここのライン、とくにキレイに縫えてるし」
「圭く~ん、ここ、うまく縫えない~」
おばさんが、再び望月さんに助けを求める。
望月さんは、瞬間的に眉をしかめた。すぐに笑顔に戻ったけど。みんなからは見えなかったかもしれない。
「うーん、縫い目が粗すぎるなあ」
苦笑しながら言う。
「僕は、トルソーを愛してるんだよね。だから、愛をこめてトルソーを作ってもらいたいな。井島さんはもう何回も参加してるのに、全然上達しないよね。僕、トルソーに愛を注げない人には、あんまり作ってもらいたくないんだよね」
声は甘いけど、言ってることはキツい。
井島さんと呼ばれたおばさんの顔はみるみる赤くなっていく。
「あ、あの、久しぶりで、ちょっと粗くなっちゃったかも……」
「井島さん、いつも縫い目が粗いじゃん。何度も言ったと思うけど。大体、糸が太すぎるよね。これじゃ、縫い目が見えちゃうじゃん。美しくないでしょ?」
「うちにはこの糸しかなくて……」
「こんな太い糸を使ってるから、針も太くて穴が目立っちゃうし。繊細さがないんだよねえ」
望月さんは大げさにため息をつく。
「佐倉さん、シャッペスパンの50番と針を持って来て」
「ハイ」
スタッフさんが糸と針を渡すと、
「これ、貸してあげる。全部やりなおしたほうがいいんじゃないかな」
と、望月さんは笑顔を崩さずに言う。笑顔なだけに、余計に怖さを感じる。
「ハイ……」
「佐倉さん、ほどき方、教えてあげて。布を傷つけちゃったら、トルソーが台無しになっちゃうから」
井島さんは真っ赤になって、すっかり小さくなってる。
それまで談笑しながら作っていた人たちも、急におとなしくなる。教室中にピンと緊張の糸が張り巡らされた感じ。
何となく、だけど。今の発言、井島さんだけじゃなく、ここにいる人全員に向けて言ってたような気がする。
布を縫い合わせて、綿を中に詰めて底の部分を縫い合わせたら、本体の出来上がり。底の真ん中に穴を開けてあるから、木のスタンドを差し込んでボンドで固定する。
まだ時間はあるから、飾りつけしよ。
レースを襟元に貼るだけじゃ、つまんないな。
よし。レースにビーズを散りばめてみよう。ピンセットを持ってきたから、細かい作業は楽々。ビーズを一つずつ、バランスよくレースにボンドで貼っていって。
それを首のまわりに貼る。これだけじゃ、まだ寂しいな。
ピンクのリボンを腰に巻いて、リボン結びをしてみて。
うん。これだけでもかわいいけど、もうちょっとアクセントが欲しいな。
リボンにビーズで花模様を作ろう。
「かわいい……」
ため息交じりの声が聞こえて顔を上げると、同じテーブルの人がみんな私の手元を見つめている。
「やっぱり、若いと発想が柔軟でいいなあ」
「器用ね。普段からこういうの作ってるの?」
「あ、えと、ハイ、粘土ですけど、ミニチュアのグッズとか作ってます」
「なるほどねえ。作り慣れてるのね」
井島さんは、ふうと息をつく。
「私なんか、時間内に終わらなさそう」
「私もです。トルソーの形をつくるだけで精いっぱいかも」
「焦る~」
みんな最初とは打って変わって、真剣に針を動かしてる。
「葵ちゃん、いいね、かわいい、かわいい! センスがいいし、トルソーへの愛を感じるよ」
望月さんは私のトルソーを見て絶賛する。
「みんな、見て見て~。このトルソー、かわいくない?」
高く掲げてみんなにも見せる。恥ずかしいけど、褒めてもらえて嬉しいな。
井島さんは、完全に間に合わなさそうだ。沈んだ表情で針を動かしてる。
「痛っ」
針で指を刺したのか、指先をくわえる。
「あ、あの、少しお手伝いしましょうか?」
見かねておずおずと申し出ると、目を丸くしている。
「ホントに? いいの?」
「はい、私のは一応、終わったんで」
「それなら助かる~」
望月さんはそのやりとりをチラッと見たけど、何も言わずに他のテーブルで指導している。
井島さんからトルソーを受け取ると、布を雑に裁断してるのが分かった。縫い目も表に出てしまってる。12回も通ってこれじゃ、望月さんも怒りたくなるかも。
井島さんはバンソウコウを指先に貼っている。
「こういう細かい作業って、何回やってもうまくできないのよねえ」
その井島さんの言葉に、「それなら参加しなきゃいいじゃん」と、他のテーブルの人がつぶやく声が聞こえた。
「ワークショップに参加したくてもできない人のほうが多いのに」
「そうだよね。参加できない人が気の毒すぎる」
「ねえ。12回も参加して、全然学んでないって、どうなの?」
井島さんは唇をギュッと結んでうつむいた。同じテーブルの人は聞こえないフリ、見てないフリ。
「最後はみんなのトルソーを集めて記念撮影しよっかあ」
望月さんも今のやりとりを聞いてると思うけど、何もフォローしない。井島さんをあんまりよく思ってないのが伝わって来て、なんかツライ……。
井島さんのトルソーも、何とか綿を詰めるところまでできた。
「ありがとう。キレイに作ってくれて」
井島さんはじっと縫い目を見ている。
「キレイな縫い目。ホントに器用なのね。普段も縫物をしてるの?」
「あ、いえ、小学校の時、手芸部に入ってて、いろんなものを作ってたから」
「そうなの。私は全然ダメ。何度やってもキレイにできなくて」
その時、ふと思った。
もしかして、何度も参加してるのは、キレイに縫えるようになりたいから、とか?
「あの」
余計なお世話かもしれないけど。
「私も最初は縫い目をそろえられなくて、消えるチャコペンで印付けてました」
「消えるチャコペン? 布に?」
「そうです、布に点点点って印付けて、その印にそって縫えば、キレイに縫えるから」
「へえ、そういう方法があるんだ」
「それを繰り返してるうちに、そろえられるようになったって言うか」
「なるほどねえ」
井島さんは縫い目を手で触りながら、何度も「なるほどねえ」とつぶやいた。
「いいこと教えてくれてありがとう。私もそれをやってみる」
「あ、はい」
布に綿を詰めるのも苦戦してたので、「これ、どうぞ」と割り箸を差し出した。
「奥のほうに綿を詰めるときに、これで押し込むとキレイに入ります」
「なるほどね。ありがとう」
「はーい、みんな大体できたかなあ? できた人は前に持って来てえ」
井島さんのトルソーは間に合わなかったけど、みんなのトルソーを一か所に集めて写真を撮った。私のトルソーは望月さんが真ん中に置いた。
みんな、私のトルソーだけ「かわい~」「こういうの売ってたら、絶対買う」と写真に撮っていた。う、う、嬉しい。
ワークショップが終わると、みんな望月さんに殺到した。
井島さんは本体に木の足を差し込んでる。
「そこの差し込んだところ、布を内側に押し込んだほうがキレイに仕上がりますよ」
教えると、井島さんは苦笑する。
「そうね。こういう小さなところこそ丁寧に処理するんだって、圭君は何度も言ってるし。私、ホントに何一つ身についてないのね」
押し込み方が美しくないから、ピンセットでちょこちょこっと直してあげると、井島さんは「ありがとう。あなたは、ホントにこういうのに向いてるのね、羨ましい」とため息をつく。
「私は何をやっても不器用で。いつも圭君に呆れられてるのよね。ワークショップに参加するのも、これが最後かな」
トルソーは何とか完成した。井島さんは望月さんに視線を送ったけど、他の人とおしゃべりしてて、こちらを見ようとしない。
「今までの中で、一番いい出来」
井島さんは寂しそうな表情をしてる。荷物を片付けて、「ありがとね」と私に何度もお礼を言いつつ、望月さんをチラチラ見ながら帰って行った。
キレイなトルソーを作って望月さんに褒められたかったんだろうな。これが最後って言うのも、それはそれで寂しい気がする。