ダイビングのプロフェッショナルとして2/3章
前回のあらすじはこちらから
見習い時代からインストラクターとしての活動をスタート後も、朝早くから活動し夜中まで働く生活は変わらず続きました。
この頃から自分でツアーを企画して実施する機会が増え、自身で「ダイビングをしたい人をみつけ」「ダイバーになって上達してもらい」「私の企画するツアーへ参加」して頂く事で
感動共有をできるようになりました。
【いままで企画したことがないツアーを実施したい】
当時店休日というものが無く、海の予約が入っていない日がOFFの日で、休みの日にすることといえば「ポイント開拓」へ
天草の隅々から九州各県の海辺へボンベと器材と食糧を積み込み、潜ったことがない場所へ調査ダイビングに行きました。
そして「安全で面白そうな場所」を何度かリサーチしてツアーを実施する。
それは後の屋久島店オープンや沖縄慶良間ツアー実施まで繋がりました。
その結果、森と携わっていれば何かワクワクできる経験ができるかもしれない!?というブランド形成につながっていきました。
ダイビング本数も年間で600本位潜っていたので2000年末頃には2000本位になっていたと思います。
◆ここまでの経験での学び
・挑践を続けていると、失敗が後の成功に繋がる
・行動量と挑践の数はファンの数と比例する
そして2001年春に熊本市内に新店をオープンさせるから「やってみろ」とオーナーの川浪より言われることになりました。
【マネジメントをしていくこと】
新店を開設していく為、インストラクター資格のアップデート、店舗探し、人財探しに奔走し2001年4月「ブルーアース21熊本北店」をオープン。店長としての業務が始まりました。
オープニングスタッフとして海外でガイドをしていた福岡出身の髙木由美子を招き格闘の日々。高校時代の腐れ縁であった廣永夫婦もオープニングメンバーとして加わりお店は次第に賑やかになってきました。
もともと体育会系で育った私は「上からの命令は絶対」という身上があり「お客様が楽しめる場所」であると共に会社として「利益を上げ」なければ「存続」もできない。その矛盾を理解したのもこの頃でした。
また今までは自分自身のことだけを考えて仕事をすれば良かったことが、スタッフのこと、会社のことを考えながら、全てが良くなり、結果お客様へ還元できるよう繋げていくことの大切さを経験できたのも、この時代を経験できたことが後に私の信条「究極のプラス思考」へと繋がっていきます。
ブルーアース21熊本北店は「バウラインスクーバ熊本北店」として改名し2012年まで続く店舗となります。
◆マネジメントをしていくことからの学び
・目の前ことだけでなく俯瞰した目で物事をみる
・リーダーがポジティブだとチームもポジティブに変わる
そして2006年近見町へ本店を移転し、感動劇場バウラインスクーバが誕生することとなります。
【不可能と思う事への挑戦】
「東シナコーストライン構想」
九州から鹿児島の離島まで店舗展開を続けて「感動劇場」を増やす。
事始めの一大事業として「10周年西表ツアー」の企画から開催に携わらせていただいた事も私にとって大きな財産となりました。
お店を移転し、100名規模の大イベントを実施することなどその年初めには不可能だと思っていました。
しかし挑戦を口に出し、それを応援してくれる仲間(メンバー)がいてそこに向かっていく同志(スタッフ)が居る
心身ともに充実した時間が過ぎていました
◆不可能と思える事への挑戦からの学び
・目標設定は少し高めで「できるかな?」と思えるくらいが丁度良い。
・不可能と思える事でも、応援してくれる人や仲間がいれば挑戦する勇気が湧いてくる
・結果どうにかなる!
続く
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