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映画『ウィスキー(原題:WHISKY)』

最近、noteで靴下を製造しているとか、靴下を買った、という記事を読む機会が重なり、昔見た『ウィスキー』という映画を思い出した。

映画のほうは、落語のような物語。舞台はウルグアイの某所で靴下を製造する零細企業。経営者と従業員3人の所帯。従業員のうち2人が工員で1人が総務兼工員。この経営者が映画の主人公、ハコボ。主人公の弟エルマンはブラジルで靴下工場を経営しているが、ハコボよりもはるかに手広く商売をしているようだ。ハコボは独身だがエルマンは家庭を持ち二人の娘がいる。この兄弟には母があったが、最近亡くなり、葬式を出して墓石建立式を行うことになった。エルマンはブラジル在住ということもあり、母の面倒はもっぱらハコボが担った。葬儀にはエルマンは参列しなかったが、ハコボは墓石建立式にはエルマンにファックスを送り、ブラジルから呼び寄せた。物語はここから始まる。

兄弟ともに靴下製造を生業としているが、兄ハコボのほうは細々と地元のディスカウントストア相手に商売をしている。儲かるはずもなく、工場も機械も年季が入ったものを騙し騙し使っている。従業員3人ともやる気があるのかどうかよくわからない。毎日7時半に工場を開け、日が高いうちにその日の操業を終える。その繰り返し。弟の方は最新鋭の設備を入れ、出荷先もブラジル国内にとどまらない。ウルグアイとブラジルの規模の違いも考えれば、同じ靴下製造業でもかなりの格差がある。ハコボは表情に出さないが、この格差をかなり強く意識しているようだ。つまり、弟に対してコンプレクスを抱いている、ように見える。

母親の墓石建立式にエルマンが来ることになり、ハコボはささやかな見栄をはる。結婚したというのである。相手役は毎日誰よりも早く出勤する最年長の従業員マルタ。彼女に夫婦を装うよう依頼すると、彼女は仕事の指示を受けたかのように無表情に承諾する。エルマンはハコボの家に泊まることになっている。ハコボは何も具体的な依頼や指示はしないが、マルタはテキパキと、男寡のステレオタイプのような散らかり放題の部屋を片付け、いかにも夫婦であるかのようなふたりの写真を撮影して部屋に飾る。写真館で写真を撮影するとき、カメラマンに促されてふたりは笑顔を作る。その時に口にするのが「ウィスキー」という言葉なのだ。何はともあれ、とりあえずそこそこ見栄えのする所帯ができあがる。

エルマンは母親の葬儀に欠席するほど多忙な経営者なので、今回も式に出席してすぐにブラジルに帰るだろうとハコボは思い込んでいた。ところがエルマンのほうは、母の面倒を兄に押し付けてしまったことを心苦しく感じていたという。また、兄の工場のお粗末な様子を見て何かを思ったのかも知れない。せめてもの罪滅ぼしと、兄「夫婦」を近場のリゾートへの旅行に誘う。ハコボは断るのだが、マルタがすんなりと受けてしまい、3人はそれほど繁華ではないリゾートホテルに出かける。

ハコボは何を思ったのか、ゲームセンターのUFOキャッチャーでしゃかりきになってカメラを取る。そのカメラで通りがかりの人に頼んで3人の写真を撮ってもらう。3人で「ウィスキー」。

エルマンは兄「夫婦」のぎこちなさから既に何事かを感じ取っている。夜、3人での夕食の席でマルタが席を外した時、エルマンはハコボに母のことを押し付けた結果になってすまなかったと、かなり厚い封筒を手渡す。これで新しい機械を買ってくれ、と。つまり、それくらいの金額ということだ。ハコボは断る。そこへマルタが戻る。ハコボは何気なくテーブルにある厚い封筒をポケットに入れる。しかし、弟にそんな金をもらうことが愉快であるはずはない。

夜遅く、ハコボは寝床を抜け出して、弟からもらった金を持ってラウンジのソファーでぼうっとしていると、カジノから若い夫婦が口論をしながら出てくる。あそこで24に張るなんてどうのこうの、という会話が耳に入る。ハコボは何かを思いついたかのようにカジノへ向かうと、エルマンからもらった金を全てチップに変える。ルーレットの席に座り、全てのチップを24に張る。ビンゴ。チップは何倍にもなり、つまり、エルマンからもらった金も何倍にもなる。

翌日、エルマンはブラジルへ帰る。ハコボとマルタは空港で彼を見送る。その後、彼等は一旦ハコボの家に戻り、そこでハコボは前夜儲けた分全てを包装紙に包んでマルタに礼だと言って渡す。元手相当額の方はちゃんと別にしてしまっておく。このあたりの小市民性がいじらしい。「じゃ、また明日」と言ってふたりは別れる。この時点で、マルタはまだ包みの中身を知らない。

翌日、マルタは出勤しなかった。

こういう物語だ。ハコボもマルタも無表情なので、何を思っているかわからない。だからなおさら相手に対して妄想が膨らむのかも知れない。また、ハコボはたいへん不器用で、自分の想いを誰かに素直に伝える術を持たない。マルタに夫婦を装うよう依頼する時も、仕事の指示をするかのようにマルタに話す。また、マルタのほうも表情に乏しいのだが、多少は表に出るところもある。それをエルマンは見逃さない。ハコボにはわからない。ハコボとエルマンの対照は物語の至る所に散りばめられていて、人と人との間の理解と誤解が積み重なっていく様が巧みに描かれている。マルタにも孤独の影がある。エルマンだって羽振りが良いからといって必ずしも内面が充実しているとは限らない。そういう誰しもが大なり小なり抱えている当たり前の影が丁寧に描き込まれている。

登場人物は実質的に3人だけで、物語の展開も日々のルーチンを繰り返し、そのルーチンのわずかな変化で大きな流れの変化が表現されている。ドラマチックな場面は何一つないのだが、そういう誰にもありそうな日常の僅かな誇張につい引き込まれてしまう。



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熊本熊
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