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赤瀬川原平 『千利休 無言の前衛』 岩波新書

本書は再読だ。奥付に「2015年11月16日 第36刷発行」とある。読んでいて前回読んだときに貼った付箋のところに来ると苦笑するようなこともあるが、全体としては今回読み終わって付箋がずいぶん増えた。齢を重ねて考えることが変わったということもあり、たぶん最初に読んだときよりも面白いと感じている。

世に「芸術」と呼ばれるものがある。それは生活必需品ではないけれど、結構高額で取引されたりしている。生活必需品ではないからこそ高額なのだ。本当に必要なものは価格で買い手を選別したり排除したりするものではないはずだ。奢侈品であるからこそ高額なのである。

茶の湯はどうなのだろう。日々の暮らしの中で湯茶は当たり前に飲む。茶を飲まない人でも何か飲むだろう。しかし、茶の湯、茶道となると、茶を飲むこと自体が目的とは思えない。茶道具には高額なものも少なくなく、時に真贋問題とか奇怪なドロドロした話が出てきたりもする。

作法に関してはある程度の合理性がある。茶道が確立された頃は今のような照明がない。夜は暗い。今とは比べものにならないくらい暗い。昼間でも屋内は今よりずいぶん暗かったはずだ。その分、当時の人は今の我々よりも平均的に視力が良かったかもしれないが、それでも赤外線カメラのようなわけにはいかなかっただろう。暗い部屋で菓子や懐石を食べたり茶を飲んだりする。亭主は客の様子を見ながら茶を点てたり菓子や食事を用意する。その時に、動作の型が決まっていれば、多少暗くても点前の手順と相手の気配で状況を把握することができる。こういう気配だから、こういう音が聞こえるから、相手はこんな動作をしているんだろうな、と亭主も客も互いに推察ができる。行儀とか作法は美意識の表現という側面も勿論あるだろうが、おそらくそれ以上にその場での現状把握の為の非言語的言語という側面が今より遥かに濃厚にあったのではないだろうか。

もちろん茶を淹れる手順を確立し儀式化することで安心できるということもあるだろう。「正解」があることの安心感だ。やはり茶道が確立された頃は今よりも命の安全安心に関して危うい時代だったはずだ。確かに、千利休は信長の茶頭であり、信長亡き後は秀吉の茶頭となる。つまり、既に天下統一は成っている。しかし、それは今の時代から振り返ったときにそう見えるだけであって、当時にあってはいつまた権威がひっくり返るかわからない戦国の世の延長の内であっただろう。命というものについて直接的な脅威の陰が感じられる切迫した時代であったのではないか。だから武将の間で茶の湯が流行った。束の間の気休めと言ってしまえば身も蓋もないが、気休めというものが実生活で果たす役割は「気休め」という言葉の印象よりも遥かに大きいと思う。

昨年、仕事帰りに東京ステーションギャラリーで「小早川秋聲」を観た。展示順路の終わりのほうに戦争画が何枚か並んでいた。その中に「出陣の前」というタイトルの作品があった。陸軍大尉の軍服姿の人物が茶を点てている姿である。芝居じみたところがないわけではないが、実際にそういうことはあったのだろう。

道具類についてはどうだろう。例えば陶磁器の場合、仮にここに両手で持って少しはみ出る程度の大きさの碗があるとする。これを日用雑器の飯碗として値段を付ける場合と、茶道具の茶碗として値段を付ける場合とでは、相場が違ってくる。典型的には井戸茶碗で、そもそもは朝鮮半島で雑器として作られ流通していたものが、日本に渡り、茶人に見出されて銘が付けられ、場合によっては名物にされたりすると、値段が何千倍にも何万倍にも跳ね上がることがある。たまに美術館や博物館などで井戸茶碗だけを集めた展覧会が開かれる。何年か前に根津美術館でそういう展覧会を観た。それよりも小規模なものも三井記念美術館で観たことがある。確かに、井戸茶碗だけをずらりを並べて眺めると、似たような姿形ではあっても個性がある。例えば、その一つを著名な茶人が手に取って「これいいね」と呟くと、その瞬間に雑器が名器になるのもわからないではない。そこに個別具体的な尺度があるわけではないのである。権威による承認だけという何の合理性もない頼りない評価だ。しかし、合理性は本当に必要だろうか。見所を箇条書きにして、各点についての評価を合算して「透明性」のある評価を行う。それでものの良し悪しが本当に決まるものなのだろうか。数値化できることにしか目を向けず、そうでないところは無視する。都合の良いところだけを拾い出して「価値」を語る。それでいいのか。権威の主観や直感で決まる評価と、「透明性」ある「合理的」な評価とどちらに得心するだろうか。

家人の父方の祖父が茶道に凝っていて、家人の実家には茶室が設えてある。そこから見える庭も祖父が存命の頃はそれらしく手入れされていたそうだ。茶道具も大量にあり、亡くなった時に形見分けで親戚の間で分けた。亡くなってもう何年にもなるのだが、昨年になってその形見を譲り受けた一人が、祖父が自慢していたという絵高麗の茶碗をナントカ探偵団というテレビ番組に出した。晴れて放送されることになり、自己評価額を300万円としたそうだ。鑑定結果は3,000円。我が家にはテレビが無いので放送を観ることはできなかったが、親戚中で大ウケだったようだ。

勿論、美術館や博物館に収まるようなものは評価の固まったものなのだろうが、芸術は価値を創造する行為だ。評価の定まったものを模倣するうちは芸術にはならない。しかし、評価されないものに関わっていると生活の方が成り立たない。真の芸術家は食えないということになる。尤も、「芸術家」を目指す時点で芸術から遠いところに飛んでしまっている。世にある「芸術家」の多くはそういう看板を掲げた商売人だ。芸術は結果だと思う。商売人の中に芸術家として残る人もいれば、商売人のままで忘れ去られる人もいるのだろう。

本書は赤瀬川が映画『利休』の脚本の執筆を機に考えたことの中から生まれた作品だ。赤瀬川が亡くなった頃に氏の著作を何冊が読んだが、言葉への拘りというか理論理屈にも長けた人だという印象を受けた。事実、尾辻克彦という名義で小説も書いている。本書の最終章「利休の沈黙」は全体のまとめにもなっていて、そこだけ読んでも全体のエッセンスは伝わってくる。

 お茶にしてもお花にしても、お稽古ごとといわれるもの一般が同じ構造を生きている。そこにある形式美に身を潜めることの快感があるのである。そうではない、本来の侘び茶というものは形式美ではなく、それを崩すことにあるのだ、それを打ち破って新しい気持ちのひらめきを見出すことにあるのだ、とマラソンの先頭ランナーが説いたとしても、それは後方集団では何のリアリテイももたないのである。(略)
 前衛としてある表現の輝きは、常に一回限りのものである。世の中の形式の固まりを壊してあらわれ、あらわれたものは、そのあらわれたことでエネルギーを使い果たす。その前衛をみんなで何度も、というのはどだいムリな話なのである。(略)
 しかしいまの世の中は、そこのところを履き違えることになった。一回性をもって特権的に許される瞬間の悪、その前衛の民主化である。前衛をみんなで、何度も、という弛緩した状態が、戦後民主主義による温室効果となってあらわれている。自由と平等という、いわば戦後民主主義の教育勅語が、ふたたび私たちの頭脳を空洞化している。(略)その自由と平等をめぐる判断停止の結果、前衛のスタイルだけが浮遊している。

227-228頁

見出しの写真は京都大徳寺の山門。

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熊本熊
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