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小倉芳彦 訳 『春秋左氏伝 (上中下)』 岩波文庫
『代表的日本人』を読んだ時に西郷隆盛の章で本書への言及があり、なんとなく気になって読んだ。全三巻だが、本文だけならそれほど長くもない。尤も、原書の方は約二十万字で難解なものだそうなので、その全てがこの日本語版で網羅されているのかどうかわからない。『春秋』については以下の説明がわかりやすい。
『春秋』は魯の隠公元年から哀公十四年(前722-前481)までの出来事を時系列順に記録した歴史書です。これは「十有六年、春、王の正月、戊申朔、石宋に隕つること五」のような淡々とした筆致で事実を羅列したものに過ぎませんが、漢代になると、『春秋』の「経」つまり本文は孔子の編纂にかかり、史実に対する孔子の評価が簡潔な言葉遣いの中に隠されていると考えられるようになりました。この微言大義、春秋の筆法を解読するための「伝」が『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』『春秋左氏伝』であり、合わせて春秋三伝といいます。前二者は基本的に孔子の意図の解明に的を絞っていますが、『左伝』は史実の内容を詳細に物語っていく書き方がなされています。
人は身の回りのことに理屈を付けないと安心できないのだろう。歴史を過ぎ去ったあれこれの羅列にしておくのではなく、無理矢理にでも因果関係をつけて整理して、教訓めいた原理原則を語らないわけにはいけないようにできている生き物なのだと思う。
確かに、いわゆる「正義」であるとか「あるべき」規範のようなものがあると思うことで、自分の行動や存在が正当化される気がするものだ。また、過去を振り返るとき、人はちょっとした神の気分を味わうことができる。あれをこうしてああすれば事態は一気に解決するというようなことが一目に見渡せる。だから、、、と雄弁になり、そういう自分に酔うことができるのである。それが他人事であれば、だが。
国家の興亡は人体の健康と似ている気がする。健やかな状態であればそこそこの気力があって物事に穏やかに前向きになるが、そうでないと不安な部分を補おうと妙に強がっておかしな前傾姿勢になり、そのことで全体の調和が乱れて破滅に至る。無理矢理何かをしなければならないという時点で、深刻な問題が生じている。そこは強がるのではなく、一歩退くなり休むなりしてしっかりと状況を把握して自分の内から対策を施すべきなのだろう。しかし、どれほど気を配ったとしても、どうにも身動きができなくなって変化に応じきれなくなる時が来る。それが寿命というものだ。苦痛なく終焉を迎えるには、やはり全てに穏やかであるよう心がけなければならないのだろう。
本書で示されているのは、上に立つ者の心得だ。それは決して特別なことではなく、どうすれば民心が従うのか、交渉事で相手との信頼関係を築くにはどうするべきなのか、というような、人一般にも言えるようなことばかりである。結局は、恥ずべきことのないように振る舞い、後は天命に委ねるより他にどうすることもできないということなのだろう。「心に瑕がないならば、家がなくとも心配するな」という諺があるらしい。
以下、本書で気になった箇所を列挙する。
国が興るときは民意に順い、亡びるときは神意をあてにする
「亡びるときは神意をあてにする」というのは、おそらく心ある日本人なら「あのことかな」という心当たりがあるはずだ。
そもそも「武」という字は戈(軍事)を止める意味である。周の武王が商を撃破した際に作られた『詩』の周頌には、
干戈を収納し、弓矢を袋に入れよ。
我は美徳を求めて、この夏楽を奏し、
王業を成して天下をば保たん。 (時邁)
とあり、同じく〔周頌の〕「武」の終章には、
汝が功業をば鞏固にせん。
その第三章には、
先王の徳をばひろめ、
我、征きて安きを求めん。
その第六章には、
万邦を安んじ、つねに稔りあり。
とある。「武」とは、暴を禁じ、戦を止め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにするためのもの。故に子孫に武功を忘れさせぬようにするのだ。
この「武」という漢字の成り立ちの話には感心した。母語の表記として千数百年を経ても漢字はまだまだ借り物で自分のものとして消化しきれていないと思った。確かに「武士」といえば軍人的な側面があるが、そればかりではなく、平時においては領主として政治を行うのである。むしろ、戦はここ一番という非常時のことであり、それをいつまでも続けていては身が持たない。武力は戦そのもののためにあるのではなく、戦を止めて人々に安心と豊かさをもたらすのが本分だということは、今まで考えたことがなかった。
名によって威信が生まれ、威信によって器が保持され、器によって礼が実施され、礼によって義が行われ、義によって利が生じ、利によって民が安定する。これが政権の要である。
「義によって利が生じ」とは、どういうことなのだろうか。
晋侯は帰国して、民を休養させる方策を相談した。魏絳(魏荘子)は、〔民に〕施捨するのに、余剰財貨を持ち出して貸してほしいと請うた。公より以下、余剰をかかえている者はすべて供出したので、国内には滞貨がなくなり、困窮者もいなくなった。公室は民の営利を制限せず、利を貪る民もなくなった。祈禱には〔犠牲の〕代わりに皮幣を用い、賓客の接待には一種類の家畜だけ、器具類は新品を作らず、車馬・服飾は必要数に止められた。これらを一年間実行すると、国に節度が生じた。
「金は天下の廻りもの」という。上下左右に活発に流れていれば、本当は誰もがそこそこに安穏に暮らすことのできる社会になるはずではあるのだが、現実はそうはいかない。無闇に溜め込んだり、何の有用性の無いものに注ぎ込んでみたり、次に繋げるということを考えようともしない輩がいて、また、そういうことで己を誇示しているつもりの輩も少なくない。結果として世の中は平らにはならず、いつの時代のどこの社会も不公平だの不公正だのと騒ぎが収まらない。収まらないようにできている、と思うよりどうしようもない。
治れる世には、君子は才能を重んじられても下位に譲り、小人は労力を惜しまずに上位に仕え、かくて上下に礼あり、奸邪の者は退けられる。それは互いに争わぬからで、これを美徳という。
こんな世の中を生きてみたい。つまらない気もするけど。
子が晋国を治められてより、近隣諸侯は令徳などまるで耳にせず、聞くは重き礼物のことのみ。僑は不審に堪えませぬ。国家を導く君子は、財物無きを気にかけず、令名無きを気にかける、と僑は聞いています。諸侯の財貨が〔晋の〕公室に集中すれば、諸侯は〔晋から〕離叛するでしょうし、もし吾子がそれで利益を得れば、晋国内部で離叛がおこるでしょう。諸侯が離叛すれば、晋国〔の盟主〕の地位は崩れるし、晋国内部で離叛がおこれば、子の家は崩れる。そのことがおわかりになりませんか。財貨などは何の役にも立ちません。令名は徳を載せて運ぶもの、徳は国家の基礎をなすもの。基礎にひびが入らぬよう努むべきではありませんか。徳あれば楽しく、楽しければ永続きできます。
結局、政権の命運は適正な課税にかかっているということだろう。これは至難だと思う。経済環境は時々刻々変化する。人類史上、社会も政治も経済も自然環境も安定したことなど一瞬たりとも無い。毎日安穏としているように感じるとしても、それは単に鈍感なだけだ。我々は見たい現実しか見ないし、都合の悪いことは見ないふりをするか、都合の悪さが理解できないかのいずれかだ。そうした中で、人々の最大多数の最大幸福を実現するに足る為政のコストを納得させ負担させるのは「徳」と言ってしまえば確かにそうかもしれないが、果たしてそんなものがあり得るだろうか。
国が興るときは、民を負傷者のように大切に扱う。これが国の福です。国が亡びるときは、民を土芥のように粗末に扱う。これが国の禍です。
禍だらけの気がしないでもない。
君子の施政は礼を基準にして、施捨は手厚く、使役はほどほどに、徴税はなるべく薄くするもの。
君子とは想像上の人物のことだろう。
ところで、本書には孔子の弟子である子路の最期の様子が書き記されている。色々に引用されているが、ここが出典とは知らなかった。
今、我々は春秋時代の国々がその後どうなったか知っている。「人の振り見て我が振り直せ」と言うが、過去から学ぶべきは取って付けたようなハウツウではないだろう。
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