勝とルーツ その1〜妄想列車出発編〜
こんにちわ よんごひんご⭐︎くま です。
前回まで鹿児島県史料から、
鎌倉後期に1st隈元の為助さんを探し出し
元々隈元さんは酒井氏であることが判明しました。
そして、鎌倉初期に酒井氏に婿入りした奉季さんが
非公式藤原さんだったらしいことが判明。
そこから、我が家の口伝につながる妄想系図を作ったわけなのですが・・・
本来のルーツである酒井さんについて調査を開始します。
まずは、系図のスタートから奉季の前の代『奉直』までの4代について、さくっと書き出してみます。
さて、初代酒井勝以前を知りたいわけですが、その辺りの史料が見つかりません。
早速手詰まりですか・・・orz
そこで、
『酒井勝は個人名ではない』
と仮定してみました。
すると・・・謎が解け始めました。
まず、『勝』は、「すぐり」と読む姓(かばね)である事がわかりました。
苗字『村主』(すぐり)の由来でもあるらしく、
『村(グループ)内で優れたもの(村長・族長)』
を意味する姓であることが判明。
よって、酒井勝は「さかいのすぐり」という酒井一族(グループ)の代々の長を意味していると想像できます。
蛇足ですが、勝海舟の勝姓も同じ由来とか…
さて、この「すぐり」は今の豊前方面に多くみられた姓だったようです。その勝の中でも有名なのが、辛島勝(宇佐神宮の有力祠官家)になります。
この辛島一族の中に、酒井や漆島、桑原のグループがあって、それぞれに勝(グループ長)がいたようです。
なお、辛島の「辛」は『加羅』『韓』とも表記されることから、新羅系加羅人であったといわれますが、他にも
『須佐之男命の子孫』
『秦氏』
だったという伝承もある一族です。
須佐之男命も、本来は新羅の神だったと言われる神様なので、
どちらにしても、辛島氏は渡来系だったと思われます。
しかし、酒井氏(隈元)のルーツは渡来系…と、固まりつつある中、別史料を発見!
火闌降命とは、天孫瓊瓊杵尊と木花開耶姫の間に生まれたとされる第2子ですが、古事記にのみ登場し、日本書紀には出てこない謎の人物。
第1子の火照命(海幸彦)と同一人物とされ隼人の祖であると言われます。
(日本書紀では、邇邇芸と木花咲耶の間には、火照命と火遠理命の二柱が生まれたとされるが、古事記では三柱の皇子が生まれたとなってます。)
酒井さんは渡来系でなかったのか?
新たな謎が発です。
次回からこの辺りの謎を整理して行こうと思います。
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