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辛島一族の謎 〜妄想列車途中下車その2〜

こんにちは、よんごひんご⭐︎くまです。

さて、古代日本(九州)にやってきた辛島氏について、もう少し調べてみます。
辛島氏を調べていくと、「宇佐八幡」「香春神社」というキーワードに辿り着きます。
で、その内容を大雑把にまとめるとこんな感じです。(本当に大雑把なので、怒らないでください。)

・辛島一族は新羅系加羅人
・五十猛尊(素戔嗚尊の子)を祖とする
・古代日本の香春(福岡県田川市)近辺に住んでいた
・香春神社の祭祀にも携わっていた
・香春神社の祭神『八幡神』は『鷹』(香春岳の別称は『鷹栖山』)
・香春から南下し、宇佐の稲積山の周辺に勢力を伸ばす
・八幡神が鷹に化けて人々に災をなすのを鎮めたのが辛島氏のシャーマン
・稲積六神社、乙咩神社、酒井泉神社、鷹居八幡神社、郡瀬神社などを建立
・大分県中津にある薦神社(こもじんじゃ)の神官・巫女として務めていた
・宇佐の香春八幡神祭祀を担う一族
・奈良時代末期以降の宇佐神宮の神職は、次の家に世襲された。
  大宮司:大神(おおぎ)氏
  少宮司:宇佐氏
  禰宜(ねぎ)・祝(はふり):辛島氏
・大神氏は宇佐氏を抱き込みながら、辛島氏の神職を徐々に奪取
・土着一族だった宇佐氏は、磐座(いわくら)信仰
・辛島氏は、シャーマニズム
・大神氏が八幡信仰(神仏習合)をもたらした

と、このような状況から、辛島氏とは
加羅(朝鮮半島)経由で日本にやってきた渡来人で、
現在の福岡県田川郡付近に定着したあと、
宇佐方面にその勢力を伸ばしていった一族だったと考えられます。
その一族はシャーマニズム的な信仰を持っていたが、
他勢力との交わりの中で、信仰の形態が変化し
最終的には、宇佐神宮の祭祀官となっていった一族のようです。

さて、そんな辛島一族が関わっていた宇佐神宮には
元宮と言われる場所は何ヶ所かあります。
神宮の敷地内に遥拝所がある大元神社(御許山)もその一つです。
わざわざ遥拝所を設けるあたり、その重要性が推し量れます。

この大元神社には、3つの巨石(磐座)が鎮座しており
元々は、宇佐氏の磐座信仰の場であったと言われます。
この磐座信仰に、辛島氏のシャーマニズムが結合することで
原初宇佐信仰である「姫神信仰」が生まれたものと想像されます。
その後、大神氏の八幡信仰と繋がり、現在の宇佐信仰の形になっていったと考えます。
これについては、神様たち祀り方がヒントになると考えます。

宇佐神宮の本殿は、左から一之御殿、二之御殿、三之御殿と三つ並んでいて、
それぞれ祀られている神様は、
一之御殿:譽田別尊(応神天皇)
二之御殿:比賣大神(宗像三女神)
三之御殿:神功皇后(応神天皇の母)
となっており、順番的には誉田別尊が主祭神となってますが・・・
センターは、比賣大神なのです。
そして御殿も一番大きいのです。

形式上は、八幡神(誉田別尊)を主祭神としておきながら、センターポジションは比賣大神としてるのは、地域本来の信仰が残った結果ではないかと考えます。

次回は、妄想列車が再出発ですw

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