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妄想列車 〜宇佐神宮〜

こんにちは、よんごひんご⭐︎くまです。

その昔、宇佐神宮の祭神の配置が怪しいってことを書きましたが、
今回は、宇佐神宮の謎(都市伝説)と妄想を書いてみようと思います。

さて、謎(都市伝説)とは、
『宇佐神宮の本殿は、古墳の上に建っている!』
というものです。その根拠は3つ

① 石棺が発見されたらしい説
現在の宇佐神宮は、8世紀に建立されたと考えられており、これまで幾度なく改修が行われております。
近年では明治期と昭和初期の2回。
この時に大きな石棺が2つ発見されたらしいのですが
『恐れ多いから』
との理由から、調査をせずに埋め戻したいう話。

② 二所宗廟(にしょそうびょう)説
とは、死者を祀る宗教施設のことで平たく言うとお墓のこと。
宗廟とは、廟の中でも皇室に所縁の深い人物を祀る場所。
現在、二所宗廟は、伊勢神宮と石清水八幡宮の2社を指す言葉ですが、
石清水八幡宮は、宇佐神宮から勧進されて建立されたことから、
石清水八幡宮=宇佐神宮と考えても良いと思います。
ということで、宇佐神宮は皇室の宗廟でもあるという話。

③ 前方後円説
宇佐神宮の形が前方後円墳の形状だと言う説です。

おそらくこんな形なのでしょうか?
ただ、地形図見る限り前方後円墳ではないような気がします。
それよりも円墳もしくは自然の地形を利用した墳墓と考えた方が良いような気がします。

で、
『結局、宇佐神宮の本殿は古墳の上に建っているか?』
ですが、
吉野ヶ里の日吉神社のような事例もあることから、墳墓の上に建てられたと考えた方がロマンがあります。
なので私は古墳の上に建っていると妄想します。
そうなると
『被葬者は誰なのか?』
が、気になりますが。
二所宗廟から考えると、天照大御神ということになります。
あれ、天照大神は高天原にいたはずでは?
ましてや神様ですよ?
と言う問題にぶち当たってしまいます。

こまりました。
かなり大きな壁ですorz
そこで、『視点を変えてみる』と言う『寄り道』をしてみたいと思います。
古墳がいつ頃建てられたかは『?』ですが、弥生〜古墳時代に香春・豊前地域に住んでいた人たちはどのような人たちだったのか?
を妄想してみたいと思います。

続きは来週!

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