三池炭鉱 宮原坑(光星記者)
くまモン記者団の、光星記者(熊本市)です!
今回は福岡の大牟田市にある世界遺産の三池炭鉱に行ったことをレポートしたいと思います。
日本の炭鉱は明治時代、18世紀半ばから19世紀初頭にかけて開発されました。西洋以外の地域において、重工業分野で急速に産業化した日本の工業、その重要な遺産です。その中で、今回僕が行った三池炭鉱は、炭鉱・鉄道・港湾が合体し、現在も良い形で保存されています。ここは明治日本の産業革命における石炭エネルギーの配給源として重要な役割を果たしていました。
炭鉱とは
炭鉱とは地下から石炭を掘り出すための鉱山のことです。地下には竪坑や斜坑、横坑などのルートがあり炭層に沿って掘って行きます。まずエレベーターやトロッコで人が地下に降りて、どんどん人力や掘削機で掘り進めるというものです。鉱山には最低でも2個のエレベータが設置されていて、他にも排水装置や排気装置が設置されています。
宮原坑とは
三池炭鉱宮原坑の第一竪坑は1898年に完成し、深さ約150メートル。第二竪坑は1901年に完成し、深さ約156.9メートル。第一竪坑は入気・排水機能を担当し、第二竪坑は人員昇降を主として排気・排水を行う機能を有しました。それぞれの炭鉱には世界最大級の排水ポンプが設置されおり、イギリス製のデビーポンプを二台ずつ設置することで、坑内排水の問題も解消され、三地炭鉱の深部採炭が可能となりました。宮原坑は開坑当時から年間27万トンもの石炭を採掘し、最大51万トンの出炭量をあげたこともありました。しかし、四山坑や宮浦大斜坑が開坑したことで、1931年に閉坑しました。約1.5km離れた熊本県側には万田坑と呼ばれる竪坑がありました。
僕が実際に歩いてみた鉄道跡にはまだ線路が残っていました。100年以上前に活躍していた線路の上を歩くと、とてもワクワクしました。このように日本の産業の歴史を伝える建造物がこれからも大切にそのままの形で残していって欲しいです。
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