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ベルリンの多様で自由な結婚・離婚事情

わたしは、ベルリンに来て、旦那との10年以上に渡る国際結婚を解消して、晴れてバツイチになった。

計画離婚というか、家庭内別居みたいな時期を経ての、ほぼほぼ円満離婚みたいなものだから、けっこう淡々と物事はすすんでいったように、今となっては思うけれど、離婚を決断するまではそれなりに色々あったから、そういった近い距離の相手との、ああだこうだが無くなったということの解放感は大きい。

でももし、結婚してからずっと日本に住みつづけていたとしたら、この「離婚」という選択をしたかどうかは、正直分からない。

日本での離婚は、子持ちで離婚しようものなら、「バツイチ子持ち」とか、「シングルマザー」とかの肩書が否応なしに刻印され、なんとなく、肩身のせまい思いを強いられるような雰囲気が、社会全体にもやっとただよっている・・・というのが日本にいたころの私の感覚だった。

なにより子どもにその影響があったらと思うと、多くの日本の夫婦がそうするように、こんな私だって、我慢の結婚生活を続けていたかもしれない。

離婚後の生活にしたって、慰謝料を払ってくれるような相手を選べなかった私は、日本なら生活保護のお世話になりながら、仕事を掛け持ちとか、いやもはや、アラフィフの子持ち女が日本で再就職はハードルが高すぎて、離婚を想定しただけで、精神的にズタズタにやられてしまいそうだ。

しかしここはベルリンだ。なんでもありのベルリン。

間違ってはいけないのは、ベルリンはドイツであって、ドイツではないということ。

他のけっこうコンサバなドイツの都市では許されないことだって、ベルリンだから多めに見てもらえることは大いにある。

なんせ、2014年に退任してしまったけれど、前ベルリンイケメン市長は、ゲイを公言し、ベルリンのことを「プアだけどセクシー」と表現して、人気をかっさらった。

日本の小泉なんとか君は、セクシー発言で炎上したとか聞いたけど、ベルリン前市長のこのセクシー発言は、ベルリンに生きる雑多で自由な人々の気持ちを、ストレートに代弁したものだった。

彼の退任後、ベルリンも他の大都市のように変化をつづけ、古き良き時代は過ぎ去りつつあるようではあるけれど、それでも、ベルリンは、自由だ。

男同士が手をつないで歩いてキスしてようが、女同士のカップルが地下鉄でいちゃついていようが、全裸のおっさんが公園で寝転んでようが、それはベルリンの日常風景。

結婚せずに子どもをもつカップルだっているし、養子縁組夫婦もたくさんいるし、子どもをもうけたあと、離婚して同性とカップルになって子育てするとか、同性カップルが養子を育てるパターンもある。

シングルファーザー、シングルマザーという類の人たちも大勢いるけれど、たいがい、別れた夫婦が子どもをもっていれば、引き続き二人で子育てを継続する。

結婚した夫婦が、離婚したくらい、なんぼのもんじゃい。

実際、娘が10歳になるころから、クラスメイトの話の中に、頻繁に「ステップマザーが」とか、「パパのいえ」「ママのいえ」という単語が登場し始める。

クラスメイトの誕生会などに娘を連れていくと、離婚した夫婦がお互いの新しいパートナーを伴って、パーティ共同開催してたりなんかもあり、最初は状況が読めず、「へ?」っと思ったりもいていたけれど、今やそんなことに驚いていた自分が、相手の親と同じ状況になっているのだから、人生は分からない。

もっと小さいころは、子どもたちも「離婚」というシステムを理解していないから、「○○のパパとママは、〇○のことをシェアしてる」とか、「〇○はパパはいないけど、ママの男の友達が、うちにいっしょにすんでる」なんてかわいらしく表現していたけど、最近は話もいろいろ具体的になってきた(笑)

つい先日も、娘が「○○のパパはね、〇○が小さいころ、タバコを買いにいったまま、帰ってこなかったんだって。〇○は小さかったから、その時は分からなかったんだよ、離婚したってことがさ」なんて言うから、ああ、うちの内情も、クラスメイトは(またはその親も)色々知ってんだろうな~と。

娘も、自分の身に両親の別居がふりかかってくるずっと前から、こんな風に友達の同じような境遇を目に耳にしていたから、こっちがちょっとこの場でそれ言うとみんなが気を使うからさあ、、、みたいな状況でも、平然と「パパの家にはね~」とか、「ママの家にいるときに」などと話し出す。

そしてこれが日本だと、事情を知らず話を聞いてる人たちを混乱に陥れ、(パパの家?ママの家??)ベルリンだと「あ、ここんちもそうなのね」というくらいの無反応の違いを、彼女はいまだ意に介さず。

子どもが社会の目を気にしなくていい、というのは、本当にありがたいことではある。それでもまあ実際、自分もやっておいて何だけど、ここまで社会的制約がないのも、いいんだか悪いんだか、という気がしないでもない。おい大人、もうちょっとお互い辛抱せい!みたいな・・・

そんなわけで、私のまわりにも、離婚組や再婚組は普通に存在するし、普通すぎて、というか、人のことはどうでもいいか、または個人の自由にあまり立ち入らない主義のここのひとたちは、基本、この情報に関してはスルーだ。

そんなベルリンならではの状況もあってか、しがらみから解放された日本人も、離婚組がかなり多い。

日本では我慢してたけど、こっちにきて、その我慢で得るものは、ここでは何もない、と気づかされちゃうんだ。

辛抱強い、とか、我慢強い、とか、己を殺す、とか、そういう日本人的な価値観は、自分が満足している状況でなら美徳と見てもらえるかもしれないが、悲壮感を伴う場合、ドイツ人に言わせれば、

「我慢してるあんたが損するだけやで。嫌なら自分でなんとかしいや」。

学校生活でも、自己解決力みたいなものを、子どものときから要求されて育つドイツでは、納得いかないことには主張し、自分で状況を変えるアクションをすることが求められる。

結婚も同じ。うまく行かないなら、自分でどうにかしなきゃいけない。やらなきゃいけないのは、我慢じゃなくて、解決すること。

日本人に、似ているといわれることもあるドイツ人だけど、実際は物静かな風貌の中に、すごいガッツありますから。

それを知らないでドイツに来ると、ボコボコにやられる場合もあるので、ご注意を。相手はそれを意図してません。悪気はないんです。

だからここでは、日本の忖度とか、沈黙は金なりとか、空気読むとか、そんなものはゴミ箱に丸めてポイされます。

まあでも、

でも、なんだけど、

話を離婚のことに戻すと、

実際ここでの離婚は別の意味ですごく面倒。

日本みたいに、紙切れ1枚にハンコを押せば済むっていうもんではない。

まずは、離婚申請前に別居期間を1年設けないといけない、とか、

弁護士に正式な手続きをしてもらわなくてはいけない、とか、

お金もかかるし時間もかかる。

うちの場合は、色々もめたりもせず、慰謝料なんかもないし、じゃあ離婚申請始めよっか、ってなった時も、すでに半年以上前から家庭内別居中でした!と証言する事で、ちょっとだけ離婚調停の期間は短縮されはしたんだけれど。

家庭内別居の証明といっても、弁護士に「そうは言っても、実際はご飯はいっしょに食べてたでしょ?」とか、「洗濯はいっしょにしてたでしょ?」と聞かれて、「いえ、仕事の時間ずれてたんで、ご飯別でしたし、洗濯も分けてました」と答え、その時改めて、ああ、ホントに私たち、結構な期間家庭内別居してたんだね、と気づいた有り様。

「でもなんで手続きに1年ちかくもかかっちゃうんですか?」と弁護士に訊ねたところ、彼女はあっさり、「年金の計算に時間がかかるから」と。

キリスト教の理念にのっとって・・・とか、なんかそんな理由も聞いたことあるような気がしてたんだけど、実際は、「年金の計算」に1年近く費やすからなんだそうだ。

じゃあ日本の離婚は、年金の計算どうなってるの?1年かかるドイツの年金の計算って、どんだけ複雑なん?それとも、ドイツあるあるで、役所の仕事が異常に遅いからか・・・?

何はともあれ、申請初めてから7,8か月くらいたった春の始めのとある日、郊外にある家庭裁判所みたいなところに出向いて、離婚届に最後のサインと簡単な宣言をし、私は法的にシングルアゲインとなった。

そこでは、旦那と私の弁護士両者が、指定された部屋に入るとき、ささっとバッグから、黒いマントみたいな弁護士コスチュームを取りだして変身したのが、一番印象深いシーンだった。あ、一応、弁護士って制服あるんだね~、私、ほんとに外国で法的に離婚手続きしてるんだな、みたいな。

それと、宣言をするときにチラッと盗み見た、旦那の表情。

ああ、この人とももう、赤の他人なんだ。年とった顔してるね。嬉しそうには見えないよね。何考えてるんだろう・・・

十数年を共にした同士との別れのセレモニーは、始まりの時とはえらく違った、簡素な事務室みたいな場所になってしまったが、これもまた人生。

手続きは多少の緊張感をともないながらも、せいぜい10分とか15分くらいのもので、部屋を出て、旦那&旦那の弁護士、私&私の弁護士のふたチームはお互いに軽く挨拶して、解散した。

裁判所の古い建物の扉を開けて、ちょっと春っぽい外の空気を吸い込んだ時、ああ、ほんとに終わったんだなあ、と、少し感慨深かった。

日本で言う卒婚は意味が違うかもしれないけど、結婚卒業した、という感覚が、自分のなかで一番強いかもしれない。

旦那も(ああ、元旦那と呼ばなくてはいけないのか)私も、十数年、お互い色々学ぶこともあり、楽しかったこともあり、でも結果、死ぬまで一緒にいる縁ではなかったし、どうぞ新しい人生では幸せになってくれ、と、今はそれだけだ。

ま、心の中には、

あんたが離婚申請するって言い始めたタイミングが悪くて、私は永住権取得するのに、めちゃくちゃ大変な目にあったんですけどね、

とか、

私より収入あるのに、Kinder Geld(育児手当金)も、娘のために買ったものも、あんたの引っ越し費用、段ボール代すら含めてきっちり半分持ちって、これネタになりすぎ・・・

とか、

別居に伴い家具やなんかの生活用品分けるとき、わたしが結婚前から持ってたものまで、半分あげなきゃいけないの、ちょっとおかしくない?貸してもらってたぐらいに思えないかな・・・そのくせ自分の国には、自分の家具とかまだもってるよね、たしか。セットものの食器まで半分にするって、それじゃ使えないじゃん!

とか、

まあ、突っ込みどころ満載というか、腹立たしいことや言いたいことも実際、あるにはあるけど、

これは、そんな男と結婚した私の犯したミスだ。

せめて、娘にとっていい父親で居続けてくれさえすれば、目をつぶろう。

本音は、引っ越しの段ボール代、実際これくらい掛かったけど、これは俺が自分で持つよ。ぐらい言える男、いやむしろ、段ボール代については触れないぐらいの男であって欲しかったけどね。耳にしたときは最初冗談かと思ったよ。

男の甲斐性、これ今の時代にそぐわないのはわかってるけど、国際結婚する時は、男の甲斐性、っていう言葉が通じない国の男と結婚するかもしれない、ということを、日本の女性は理解しておいたほうがいい。

もちろん、甲斐性のない男は日本にだって山ほどいるけれど、(なんか最近そういうの、よく聞く。昭和の価値観は、遠い過去のものになっちゃったんだね。当たり前か。)甲斐性があるかないか以前に、その感覚が存在しないってことがどういうことか、というのは、知っておいたほうがいいかもしれない。

いやいや、こんな日本的な価値観を外国人のパートナーに押し付けてはいけない。いやいやいや、押し付けてるんじゃなくって、この感覚を共有できないっていうことが、うちの場合は段ボールだったわけで。

まあ、とにかく、怒鳴り合い殴り合うような両親の姿を娘に見せず、離婚できただけでも、まだよかったと思わなくては。

離婚して、再び独り身になって、もやもやした煙の中から抜け出して、すっきりした。

果たして、この先の人生がどんな展開を迎えるのか。またもや無計画行き当たりばったり人生の、第二ステージの第一歩がはじまってしまった、とも言えるのかもしれない。

残りの人生では、誰かに段ボール代請求されないことを願うばかりだ。


離婚申請が受理されて1年以上が経過した今、離婚に後悔は全くないけれど、まあ時折ふと、

お父さんと、お母さんと、子どもが一緒に公園にいる風景なんかを目にしたとき、私たちがまだ家族で、娘が小さかったときの映像が目に浮かび、少し胸の中で、くしゃ、っと何かが音をたてる感覚がすることがある。

週の半分を、パパとママの家を移動して過ごさなくてはいけない娘の大きな荷物をみると、ごめん、と思う。

娘が無邪気に、「ママをパパのうちに招待してあげるよ。飼ってるうさぎみたいでしょ?いつ来れる?」なんて言うと、ちょっと返事に困る。

パパの家に移動する日、「ママ一人でご飯食べるんでしょ、ママかわいそう」と言う娘に、そんな気遣いさせちゃってるのか、と切なくなる。

それでも、娘と、「ほらさあ、パパはさあ、ちょっと年とってきたんだから、助けてあげなよ~」「やだ~、なんでわたしが~」みたいな会話をしたり、

パパが口うるさい、と文句をいう娘に、「たしかにパパはちょっとそういうとこあるけど、いつも色々オーガナイズしようとか、がんばってくれるじゃん。ママはそういうのできないから」というと、「そうだよね~。」と納得したり。

家庭内別居中には話せなかった、パパネタを、娘と二人の食卓で話せる今の方が、ずっと平和で幸せだ。

娘はダイレクトに、「ママ、なんでパパと離婚したの?」と聞くことはないけれど、女ふたりの気持ちの中に、「なんで」の部分を共有する感覚があるのは、お互い感じている。

「悪い人じゃないけど、一緒に住むと、ちょっとめんどくさいとこあるんだよね~」と言うと、娘は、「ああああ!それ、すっごい分かる!」と、相槌をうつ。

そして、娘はパパとだって、私の居ないところで、私の「めんどくさい」ところを、多分共有してるはずだ。

離婚は、できるなら避けられたほうがいいにきまってる。

白髪の老夫婦が、手をつないで歩く姿を目にすると、自分にそんな未来がないってことは、やっぱり残念だな、とも思うし、そんな夫婦をすごく、羨ましく思う。

でも、離婚によって、こじれた関係が今以上のものになる可能性があるのなら、我慢してお互いを傷つけ合う結婚を、終わらせる意味はあると思う。

そして私の場合は、ベルリンという、しがらみのない街でだからこそ、元旦那とこうしてゆるい協力関係を続けながら、娘を一緒に育てていけるという環境にあることに、感謝をしてもいる。

日本でも、同性婚や、同性カップルが世の中に認められはじめ、すこしずつ結婚という形態の多様性への土壌が整い始めていることを、個人的にはうれしく思っている。

異性同性に限らず、いろんな形の結婚や離婚、再婚に対しても、人がオープンになれるのは、両親の離婚を経験した子どもの精神的負担を軽くするという意味でも、タブーとされるよりはずっといいと思っている。

もちろん、結婚して子どもを産むなら、それだけの責任を全うできる覚悟をもって婚姻届けにサインしろ!という意見だってわかるし、自分だって結婚した時は、旦那と別れることになるなんて、これっぽっちも想像していなかった。

子どもがいるのに別れるなんて、親の勝手すぎる、と言われても仕方がないと思う。

だけど、人間は間違ってしまうこともある。

私だって、いまだ未熟な大人だし、結婚・離婚を経験して一人前になれるのかと言えば、それも怪しい。

子どもがいるから、社会的には親として見られ、それに相応しい大人として振る舞う努力をしているけれど、実際、子どもがいなかった頃の自分より、今の自分の方がずっと成長しました!とも決して言えない気がする。

もちろん、忍耐力はついたと思うし、子どもに育ててもらった適応力みたいなものも、あるにはある。

だけど、人として一人前、とか、大人として一人前、とか、親として一人前とか、社会というものの基準で自分が判断された場合、日本でなら間違いなくアウトで、ベルリンだったら、果たしてどうなんだろう。

たぶん、価値基準が多様過ぎて、判断する意味すらない。

多分、そこが日本とドイツ、いや、特にベルリンという街の違いなのかな、と思う。

日本中が色めき立った、唐田さんという女優さんと、東出さんの不倫の報道なんかにしても、フランスほどはないにしろ、きっとドイツならば「当事者の問題」で済まされてしまうんじゃないかと思う。

それは良い悪いということでもなく、文化の違いだ。多様な価値観が存在する社会では、誰かの価値観にのっとって物事をジャッジするという事は、あまり意味をなさない。

学校の先生がゲイであろうが、全身タトゥーだろうが、顔面にピアスしていようが、モヒカンだろうが、子どもたちは、そういうものだと受け止める。

○○ちゃんちのお父さんとお母さんはドイツの人だけど、子どもの〇○ちゃんはアジア人。子どもはそのままを受け入れる。

カテゴリーで区別せず、その人をその人として受け入れられる社会は、人をジャッジする必要もなく、される必要もなく、気が楽だ。

楽過ぎて、節度のなくなってしまった人たちも大勢いて、それはそれで問題ではあるんだけれど。完璧なんて存在しない。人も街も。

私みたいな日本社会でアウト!にされちゃうアラフィフも、このベルリンのある種行き過ぎたくらいの多様性の中で、他人からのジャッジを気にせず、演歌歌手のきーちゃんのように、「自分らしく生きる」と宣言せずとも、自分らしさにまみれた人々の中で生きていくのは、時折、きついな・・・と思うことがあっても、それは何物にもかえがたい自由だ。

ここでは結婚も離婚も、人生のゴールでもなく、終わりでもなく、通過点の一つ。

私だって、数年後には、ひょっとしたら同性の恋人がいたりとか、旦那の新しい奥さんと、娘を交えて食事してたりとか、その娘も同性のパートナー連れて来てたりとか、なんだってあり得るし、どんな可能性にもオープンでいられるということは、なんて気楽なんだろう。

ベルリン、変な街だけど、出会えてよかった。










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