「見えない価値」が未来だ!
ってのを、年末年始にインド行ってきて腹落ちしたよ。「見ない価値」ってのは人それぞれ違っていて、誰もが一緒ってわけじゃないんだけど、強いて言うなら「魂を磨く行為」や「生きるを実感する様」かと。
今回の移動でインドに行った時に強く感じたのは、ローカルで生活をする人たちから生きるパワーを感じたん。彼らが本当はどのように思っているかは知らないけど、自分はそのリアルタイムに「生きるチカラ」を目の当たりにした時に、今の社会に足りないのはこれなんじゃねーのかなーって思った次第。
具体的な言葉では言い表せないけど「生きるチカラ」であり、いい意味でも悪い意味でも感情が剥き出しに自分勝手に行動している事。日本は基本的に感情を押し殺して生きている人の方が圧倒的に多いし、自分自身もそう。日本でみんなが好き勝手生きていたら社会が成り立たない!とかなじゃくて、日本には日本なりの自分勝手さを出しながら共存できるモデルもある。
自分勝手というと言葉がハードだからネガティブな印象なんだけど、もっと優しい言い方をするならば、もっと自分がやりたい事をやり合う世界。もちろん資本主義が中心なのはきっと自分が死ぬまでは変わらないけど、そんな市場と共存するように自己実現経済は成り立つはず。それを成り立たせるのが「見えない価値」であり、モノは生まれないけどコトが生まれ続けて少しだけお金が回り続ける経済。右肩上がりな経済圏ではないけど、個人の魂は右肩上がりな世界。
それだけだと不安だよなー、モノもお金も手元に残らないし、本当にそれが正しいかどうかも分からないしね。けど、そこを目指さないといけないんだと思う。足りないを埋めるモノはは最低限でよくて、欠けてる心や魂を埋めるフェーズにきているだと思う。
そこを埋めれるのはヒトしかいない。ヒト同士でしか成り立たない。最近は「コミュニティ」って言葉が流行ってるのかと、けど複数のコミュニティに属すのではなく、やるべきは「自分がやりたいと思っている事がカタチ(無形&有形)になるコミュニティに属す事」かと。つまり起点は自分自身でありヒトなんだよな。
根っこは「見えないもの」だから勇気を持って立ち向かえないツラミ。一人で実現を目指すんではなく、基本的にはみんなで作るのだ。強烈な人生に対して一人で立ち向かうのは本当に大変だ。
もっと移動して、会おう、聞こう、話そう、また移動しよう。
泣いてるのは自分だけじゃないと分かるから。一人では何もできない事を自覚するから、それだけ分かればオールOK。2020年は、自分を信じて行動できる人が増えるプラットフォームを作る。
全然まとまって話せなかったけど今年は「見えない価値」を具現化、言語化、実践していくぜ。
もっと移動して、会おう、聞こう、話そう、また移動しよう。